「霊感」で消耗しない方法~繊細すぎて疲れやすいあなたに~①

私は小さい頃からいわゆる「霊感」があったタイプです。とはいえ、小さな頃には霊感があるというハッキリした自覚(というより自信?)もない時期もあり、正しい知識もないゆえにコントロールも出来ず、色々と暮らしにくかったように思っております。

自覚や確信なく「霊感」を扱っている方は実はとても多いです。サロンに来てくださるお客様の中にも、「私は全然霊感がなくて」「スピリチュアルは信じてないんです」とおっしゃる方こそ実はあったりします。霊感と言うのは非常に主観的な要素ですから、他者と比較しにくく、はっきりとした「自覚」を得にくいものです。また「少しくらいある気はするけど、こんなのあるとは言えないだろうし・・・」という謎の遠慮のようなものも働いて「霊感があります」と言いにくいというような部分もあるでしょう。

ですが、それで少しでも疲れを感じることのある場合は「積極的に自覚したほうがいい」と私は思っています。霊感があること自体は特別なことではないのですが、無自覚でいるがゆえに、ズルズル消耗したり、いたずらに自尊心が傷つくということが多々あるからです。これは私自身の体験に基づいて強く思うことです。気がつくことが出来れば対策が取れますし、対策が取れると格段に生活しやすくなっていきます。

そういうわけで、今回の記事では「霊感があるときに起こる困りごと」とその対策について、お伝えしたいと思います。「もしかして私も?」と思う方は、きっと役に立つかと思いますので、ご一読くださいね。

☆姉妹記事:霊能力と生きづらさ ~自分の『面倒くささ』と付き合う~

「霊感」と「暮らしにくさ」

この記事では、直感的に分かるように便宜的に「霊感」という言葉を使っていますが、ここでの「霊感」とは「言葉や目に見えない形の情報を知覚する」ということを示します。いわゆる第六感のことで、イメージとしては、これがあると「エネルギーを感じ取ったり、他人の情報などが感覚的にわかる」と言った感じでしょうか。

なお、これは「エンパス」「HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)」と呼ばれるタイプの方々と特性が重複している場合が多いです。気になる方は、それらの名前がついた関係書籍をお読みになるのも非常にオススメです。

さて、そういった特性から、私が子供時代~学生時代に主に感じていた「困りごとあるある」をご紹介します。

とにかく疲れやすい

人の悩み事を聞いたり、人ごみに行ったり、エネルギーの低いところに行ったりすると、よく具合が悪くなりました。特に、体調の優れない人に会うと、その人の具合の悪さが「うつる」感じがあり、それがなかなか体から抜けていかずに苦しい思いをしました。

いつも慢性的に具合が悪く、小さな頃から整体に頻繫に連れて行ってもらっていました。とくに頭痛と肩こりはひどくて鎮痛剤を常用していました。しかし、体そのものは丈夫で、骨や内臓もしっかりしていて、器質的にどこが悪いということはありませんでした。

妄想なのか本物なのか分からず不安

チャネリングはしていましたが、それが「妄想」なのか「本当のこと」なのか分からず、自分でも怖かったり自信が持てなかったりしていました。時には夢で見たりイメージだったりしたこともあったので、どの程度まで確かな情報としてよいのかがわかりませんでした。「実際に確認したら本当だった」ことが確認できたことも多かったですし、複数の霊能者の方に霊感があることを指摘されたりもしましたが、それでもしっかりと自分の能力に確信が持てるようになったのは20代以降です。

霊感で得た情報を人に伝えることで、嫌な思いをする

これは伝えたほうがいいかな、と言うことを思い切って人に伝えたときに、マトモに取り合ってもらえなかったり、気持ち悪がられたりすることがありました。また、それを伝えても信じてもらえず、後になって「ほら、やっぱり私の言うとおりになったのに!」と腹立たしく感じたこともありました。
また、家族に伝えても「霊感を頼られる」ときと「ただの思い込みじゃないの」と言われるときとがあり、それもまた苦しく思ったのを覚えています。

感情や体調が自分のモノなのか分からない

自分の思念に同調して、いろんな人の思念や痛みが入ってくるため、他人の「感情」や「感覚(例えば、痛みや空腹感など)」をよく体験していました。

例えば「食事した後になぜか空腹感を感じる(すれ違った人の空腹感をエネルギー的に受けている)」と言うような感じです。空腹感くらいならまだいいのですが、人と言うのは不思議なもので、突然謎の悲しみに襲われたりしたときに「なんで悲しいのかな?悲しい理由なんてないのに」とは思わず、「そうか、自分は悲しかったのか。どれ、どういう理由で悲しいのかな?」というように「自分の中に理由をそれっぽい理由を見つけて勝手に納得しようとする」という傾向があるのです。

そういうわけで、「人から貰った感情を、勝手に理由をつけて自分のものにする」ということを日常的にしては、体の中をいつも情報でパンパンにしていました。感情が不安定になりやすく、精神科に通ったりもしていました。

人のために行動しようとし過ぎる

霊感があるがゆえに、なんとなく相手の苦しみや心細さがわかるため、基本的に放っておけない気持ちになります。また、自分が役に立つかもしれないと思うと、なんとかして相手の役に立ちたいという気持ちが沸いてきます(後になって、「それは相手のためでなく、ただ単に自分が認めてもらいたいというエゴから来る行動だった」ということに気がつきますが、それはまた次の項で説明します)。

そういうわけで、霊感を使う使わないは関係なく、自分を犠牲にしてでも相手のために尽くしたり、体が辛くても人のためなら異様に頑張れたりしました(そして、不思議なことに人のために尽くしているときだけは、体の辛さを感じないのですよね)。ですが、先に書いたとおり、結局はエゴから来る行動なので、相手を息苦しく感じさせてしまったり、相手が思うとおり動いてくれないと裏切られたような気分になったり、自分ばかり人に搾取されているような気持ちになったりもしていました。

そういうわけで、人間関係のバランスもあまり良くなかったように思います。

自意識過剰で苦しい

思春期の時には誰でも「人目が必要以上に気になる」「人からよく見られたい」という傾向が強まりますが、私の場合は非常にそれが顕著でした。

実際に人が自分をどう見ているのかという思念も分かりますし、あとは、「自分自身の思念(「人はこう思っているに違いない」という思い込み)」も非常に強かったので、何が本当なのか分からず、人に対していつも疑心暗鬼でした。そういうわけで「人に嫌われる」ことも過剰に恐ろしく、人に嫌われないようにするためにいつも必死で、消耗していたように思います。

疎外感と孤独感がつきまとう

「自分にはわかるけど、相手にはわからないらしい」ということが多いので、話しても分かってもらえない孤独感がありました。何か辛いことがあっても、その辛さを感じる情報量が人より多いため、話したところで共感してもらいにくいのですね。同じ年頃の子が抱く悩みとはタイプが全然違うので、同年代の人たちの悩みを聞いたりするとまた孤独を感じたり、疎外感になったりしました。

<この記事は後編に続きます>

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