こんにちは、神代桃子です!
さて、セッションの際など、高次の存在(ガイドスピリットなど)に聞いても、答えを教えてもらえないこと、というのが時々あります。
これは例えば
・答えを知ってしまうと、苦しみが増したり余計に迷ったりするとき
・答えがわからない状態で本人が試行錯誤する必要があるとき
・「聞いても教えてもらえない」というイベント自体がご本人にとって必要なとき
みたいな場合です。
特に二つ目の「答えがわからない状態で本人が試行錯誤する必要」。
これに関して、今回はお話をしたいなと思います。
人間の感覚としては、誰かから答えが欲しいときって、たいてい苦しいときなんですよね。
これ以上自分で考えることが苦しかったり、自分の判断に自信が持てなくて、そういう時ほど「白黒ついている分かりやすい答え」とか「どうしたらいいかの明確な指示」がどうしても欲しいと思ってしまう。それが人情だと思うのですが…
実は長い目で見ると「こういう時ほどチャンス!」なんですね。
というのも、人間ってうまくいっている時ってあんまり深く考えないんですよね。
上手くいかない時や、迷走しているときでなければ考えないこと、味わえない感覚、気が付かないことというのがどうしてもあるんです。
そのような「学び」は、加圧トレーニングのようなもの。大変ではあるのですが、負荷がかかっているので、効率的にたくさん成長できる時期でもあるのです。
その時はとても苦しいんですけれども、後になってそのトンネルを抜けてから、そこで得た学びが人生にガッツリ効いてくる…!
ということは、実は、人間の学びのスタンダードな形のひとつなんですね。
というわけで。
もしあなたが、色んな方法で答えを知りたいと人に意見を聞いてみたり、スピリチュアルの力を用いてアドバイスを求めてみても、今一つ欲しい答えが得られない…という時には、高次の存在は「あえて教えない」という愛情を送ってくれているのかもしれません。
さて、「高次の存在が見守ってくれていますよ」というと人間サイドは物足りなく感じるというか、「ちぇっ、見てるだけか~」と思ってしまいがちですけども…
「見守る」って、ぶっちゃけアドバイスするよりもずっと大変!!!(笑)
子育ての経験がある方はおわかりいただけると思いますが…
例えば「小さな子に着替えをさせる」時なんかを想像してみてください。
代わりに着替えさせてあげたほうが早いし「はい次はボタンだよ」「次は右足だよ」とか指示したほうが断然ラクなんですよね。
でも、人間ってそれじゃダメなんです。
自分の中で腑に落ちして、自分の血肉として経験をモノにするためには、どうしても自分で何度も間違えながらやらなければいけない部分があるわけです。幸か不幸か、そこはショートカットができない、というのが人間の仕様なんですね。
(余談ですが…
「こうすれば成功する!」というメソッドでよく「たくさん失敗しよう」「とにかく行動しよう」という教えがよくあるのは、この「間違えながら習得する」という期間をなるべく前のめりに、短時間で経験してしまおう!という意図があるからなのではないかと思われます)
というわけで、高次の人々は、我々がそれぞれの感覚やペースややり方の中で、その学びを腑に落とすまで、余計な手出しや口出しはせず、時にはヤキモキしたりしながら、ずーっと待っていてくれているというわけなのです。
というわけで。
彼らが答えを教えてくれないときは「そんなこと聞かずに自分で考えろ!」とか「甘えるな!」とか「魂のレベルが低いからあなたには教えませんよ」的な冷たい意味ではないんですよ!(笑)
また、「わたしの声が届いていないのかな」ということでもないんです(笑)、
「彼らは彼らで我々を尊重してくれている」
そして
「答えこそ教えてくれなくても、ヒントをくれたり、応援はしてくれている」
ということを、どうぞ頭の片隅に入れておいていただけるといいのかなと思います。
とはいえ、迷いや苦しみのさなかにあるときは、やはり大変なもの。
それでも、自分と一緒に辛抱強く、その時間を過ごしてくれている、見えない「誰か」がいる。
迷っているときでも、それを知るだけで少しはあなたが心強く思えたらいいなあ、と私はひそかに思っております。
また、答えをダイレクトに得ることができないときも…ヒントだったり、心の整理をしたり、現在位置を知ることで、自ずとやるべきことが見えてくることがある場合もあるもの。
マゼンティークはその辺のお手伝いもたいへん得意としております!
ピンと来たときには、ぜひマゼンティークに遊びにいらしてくださいね~(*^^*)