もしかして周囲を振り回してるかもと思ったら~キャパシティーの大きい人の責任~

こんにちは、神代桃子です!

さて、あなたは「自分は影響力が大きい方だ」と思いますか?

例えば、「集団の中に入ると、いつもトラブルの矢印が自分に向く」「周囲の人を振り回してしまいがちう」「自分を巡って争いが起きやすい」「色んな人に影響を与えやすい」という感覚がありますか?

それならば、あなたは「エネルギーのキャパシティーの大きい人」なのかもしれません。

当サロンには【エネルギーのキャパシティーの大きい人】が遊びに来てくださることが非常に多いのですが…私が個人的に思っているのが【エネルギーのキャパシティーの大きい人】自分の特性を自覚して、「自分の感情を適切に処理できるようにならなければならない」ということなんですね。

ということで今日は「エネルギーのキャパシティーの大きい人」に関する特性と生きやすさ、そして「その責任」について、お話したいと思います!

 

キャパシティーが大きいってどういうこと?

ここでいう「キャパシティーが大きい人」とは「エネルギーを扱える容量が大きい人」のこと。

キャパシティーとは、スマホで例えると、メモリみたいなものでしょうか。メモリが多いと、その分、たくさんの画像や動画を保存しておけますよね。

実は、思考や思念や感情やエネルギーなどは全て「情報」であり、それぞれに容量があります。人間の潜在意識の容量は有限ですから、基本的には、自分の「メモリの上限」までしか持てないのですが、「キャパシティーの大きい人」は、普通の人よりはるかに容量が大きいため…

・普通の人よりはるかに大きい量のインプットやアウトプットができたり

・普通の人じゃ持ちきれない量の思念や感情を持ったまま生きていたり

・情報量の多い状態で物事を自分の中で留めておけたり

・エネルギッシュで何人分もの活動ができたり

・逆に、人ひとりにそんなにたくさんの出来事が起こる?!というような苦難に見舞われたり…

みたいなことが起きたりします。

(※注:どんな風に発現するかは人によって違うので、一人の方に、これらすべてが当てはまるわけではありません)。

社会貢献度は高いが、生きづらさが伴う

キャパシティーの大きい人は、容量が大きい分、適切に能力を発揮すると、非常に深く広く人に影響を与えることが出来ます。

例えていうなら、普通の人が水道の蛇口なら、キャパシティーの大きい人は、消防車の消化ホース、みたいな感じ。望む方向と一致すれば、社会への貢献度も非常に大きい活動ができるわけです。

これだけ聞くと「なんだ、いいじゃん!」と思うかもしれませんが、話はそう単純ではありません。

出力や入力が大きい分、コントロールが難しいし、どうしても乗りこなすのが大変なわけで…キャパシティーの大きい人はどうしても「生涯を通して、自分の気質とどう付き合っていくか」が大きな一大テーマになっていくわけなんですね。

 

キャパシティーの大きさを自覚しないと、悲劇が生まれる

ではまず、キャパシティーの大きい人の何が大変かという話から。

いちばん最初のつまづきは、「意外と自覚ができない」という部分なんですね。

なぜかというと、人のキャパシティーと自分のキャパシティーはわかりやすく視える化ができないから。しかも「人よりできる」とか「人となんか違う」というのは、場合によっては認知すると「これって傲慢では?」とか「自分に酔っているのでは?」とも思える部分。フラットに把握するのは結構至難の業なんですね。

ですが、見えないからと言ってスルーしていると結構大変なことになる場合が多いのです。

 

というのも、まずはコミュニケーション面。

キャパシティーの大きい人同士ならいいのですが、キャパシティーに差がある人との間だとキャパシティーの大きい人にとっては「大したことのない(容量の少ないデータ)」でも、キャパシティーのあまり大きくない人にとっては「自分のメモリを圧迫する大きなデータ」になる…と、いうことがよく起こりえるのです。

ここでちょっと考えてみてください。

ウルトラマンが「自分がそれだけ大きい」ということを知らない状態で、大好きな人をぎゅーっと力いっぱい抱きしめたら、どうなるでしょう。

多分相手は潰れて死んでしまいますよね(笑)

このように、キャパシティーの大きい人は「自分の大きさ」を知っておかないと、このような悲劇が起きるんです。

 

もう少し日常的な話をすると…

・キャパシティーが大きい人にとっては「ちょっとした愚痴」でも、普通の人にとっては「受け取りがたいほど重たい話」になる

・キャパシティーの大きい人にとっては「絶対に受け取って欲しい愛情」が、普通の人にとっては「どう努力しても処理しきれないくらい重たいもの」になる

・キャパシティーの大きい人が「これくらい欲しい」は、普通の人があげられる量をはるかに超えている(なので、キャパシティーの大きい人は、愛情不足の感覚になっていることが多い)

みたいな問題が起きやすいんですね。

あとは、キャパシティーの大きい人にとっては「これくらいやって当たり前」なことが、キャパシティーの小さい人から見ると「やろうと思っても出来ない!(そんな部分まで目を行き届かせるほどの、メモリの余裕がない)」みたいなことになってしまいがち。

結果、キャパシティーの大きい人が小さい人に対して「やるべきことをやっていない」「怠けている!」とキビしいジャッジをしてしまうこともあるんです。

このように、意識しておかないとコミュニケーションにズレが生まれたり、結果、自分か相手に非常にストレスがかかってしまうわけで、「体格の差」をしっかり知っておくというのはとっても大切なんですね。

 

未処理の感情が起こす「災害」

でも、コミュニケーションのずれくらいなら実はまだカワイイほう。それよりももっと重要なのが「自分の感情を処理していないと起こること」なんです。

というのも…人間って「自分の処理できない感情」は、大抵「蓋をする(無視する)」か「散らす(ごまかす)」という対応を取るのですが…

実はそういった感情は、「本人に消化してもらえないとわかったら、消化してもらえる場所を外側に探して、周囲の人に漏れていく」という特性を持っているんです。

なので、「自分が見て見ぬふりをしている感情」は、知らず知らずのうちに周囲の人に影響を及ぼすんですね。

 

例えば、仮にあなたがイライラに蓋をしているとしたら…周囲の人たちがなぜかあなたに対してイライラしてきたり、イラつくような気持ちになる出来事が起こったりします。

あるいは無意識に「誰かに消化してもらおう!」というエネルギーが漏れるため境界線があいまいになってしまい…

「自分の気持ちは自分で感じられないのに、人の気持ちはなぜかよくわかる」だったり

「あなたが本来やるべきことを、周囲の人が代わりにする」とか、

「周囲の人が自分でやるべきことを、あなたが代わりにやる羽目になる」とか

・・・みたいな現実が起きるわけですね。

 

さて、これって、普通の人でも結構大変なのですが、あなたがもしキャパシティーの大きい方で、「自分の感情を適切に処理しなかったら」どうなるでしょう。

 

例えば、普通の人が貧乏ゆすりをしても、周りの人が「ちょっと嫌だなあ」くらいの気持ちになるくらいで終わりますが…(笑)ウルトラマンがそれをしたならば足元の町は、激しく揺れ、大災害になってしまうように…

「キャパシティーの大きい人」がネガティブ感情の処理を適切に出来ないと、多くの人が振り回される事態になったり、周囲の人が人生ごと左右される様なことを、『無意識に』起こしてしまうというリスクがあるわけです。

つまり、『自分の感情の処理』を適切にできるようになることは、もはやキャパシティーの大きい人にとっては『責任』のレベルなのです。

 

キャパシティーの大きい人にしかできない、遊び方をしよう!

とは言っても、この世に起きていることは基本的にすべて合意の上。

なので、仮にあなたが「周りの人を振り回した!」のならば、周囲の人は「振り回されることを望んでいる」わけなので、それはそれで問題はないのかもしれません。

だけど、私は思うんですよね。

あなたが「キャパシティーの大きい人」としてわざわざ生まれてきたのは「キャパシティーの大きい人でなければできないことをするため」のはず。

「自分の能力をフルに発揮して生きたい」と願うのなら「周囲の人を振り回してエネルギーをロスしてしまう」という状況は望ましくないはずです。

「大事なエネルギーを本当に大事なことに使いたい!」…そんな時期に来たと思ったら。ぜひ、硬い蓋を開けに、マゼンティークに遊びに来ませんか?(*^^*)

 

キャパシティーの大きい人は、自分の感情と向き合うのが不得手な傾向

なお、キャパシティーの大きい方はどうしても自分の感情と向き合うのが不得手な傾向があります。

その情報量の多さから、広げて紐解く作業をするには、メモリが足りなくなってしまいがちなので、どうしても自分一人では処理できないんですね。

また、誰か相手がいても、「フラットに自分の内面の開示をする」「安心して吐き出す」「小さく圧縮してきた感情を元のサイズに広げる」ということが不得手(というより、やり方がわからない)な場合がほとんどです。

これは、「自分以上に大きなキャパシティーの方とあまり出会えてこなかった」とか「感情や思考のサイズがデカすぎるがゆえ、一歩間違うと大事故になるから、うかつに手が出せない」という側面を持つためです。

ですが、安心してください!

当方、霊能者をしております。あなたを受け止めるための容量は、必要とあらば、高次元からいくらでも都合することが出来ます。体さえ持ってきてくれれば、それ以上は、何も考える必要はありません。

また、これまで様々なクライアントさんの「爆弾の解体」をお手伝いしてまいりましたので、しっかりと誘導してお引き出しさせていただく、そのあたりの技術には絶対の自信がございます。

安全に、楽しく。あなたをしっかり井戸の底までお連れいたします。

蓋を開けてみれば、「なあんだ」となること請け合い(^^♪

 

必要な時には、いつでもお声かけくださいね。

マゼンティークは、必要なあなたのお越しを、心からお待ちしております。

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