こんにちは、神代です(*^^*)
さて、今回は私のスピリチュアル観についてのお話。
スピリチュアルってどうしても「そういうのが好きな人」とか「霊感が強い人」がやるものっていうイメージがいまだに強いなあと個人的には感じています。でもね、それって非常にもったいないことだと思うのです。というのも今の時代こそ、スピリチュアルを身に着けることはとっても大切になってくると思うからです。
スピリチュアルは身に着けると、道具として便利というのはもちろんあるのですが…(この話も長々したいので、また別の機会にゆっくりさせてください)もっと文化的な意義レベルの話をすると、
そもそもは「自分と言う存在が、自分以外の大きなもの(世の中、周りの人、人生の流れ、自然や世の中などの自分一人ではどうすることもできない大きな流れ)とどう調和して生きて行ったらいいのか」ということを考えるものだったんじゃないかな~
と私は思うんですよね。
もともとのスピリチュアルの意義とは?
ここからは私の想像ですけれども…
例えば原始時代。
普通に生きていても、「自分の力では太刀打ちできない手に余るようなこと」がめちゃくちゃ多かったと思うんですね。
狩りで大けがをして大事な仲間が死んでしまったり、子供が生まれても疫病で死んでしまったり、川が突然氾濫してひどい目にあったり、獲物が全然取れなくて餓死しそうになったり…みたいな、『自分一人では解決できない、大いなる力が及んでる感じの出来事(特につらいこと)』が結構日常的にあったと思うんです。
そんな中、『次に何が起こるか怖くて仕方ない。常にビクビクして、失うことや失敗ばかり恐れてしまう』というのも生きにくいですし、かといって『人間は憎まれている!自然や世の中は自分たちを排除しようとひどいことばかり起こしている!!自然、許せん!!』と解釈するのも非常に暮らしにくいし生産的じゃないですよね。
ということで人間は『神様』とか『超自然的なもの』に意味づけをして、なんとか折り合いを付けようとしたんじゃなかなあと思うんです。
例えば『たくさん獲物が取れたら神様に感謝して、お供え物を捧げよう』『大事な時には守ってくれるようにお願いしよう』『神様が怒っていると感じた時には、儀式で鎮めよう』とかいうことです。
また、自分たちの喪失に関しては、『死後も見守っていてくれる』とか『命は繋がっていく』と意味づけて、『寂しくないよ、これも必ず意味があるよ』とか『一回り大きくなるための試練だ』と解釈したりして折り合いをつける。
将来の見通しを立てたいときには、予知や占いなんかで『自分たちの将来が少しでも生産的になるように役立てていこう』という風に考えていったんじゃないかと思うんですね。
これって、神様が実際にいるかどうかは実は、別なんです(当時の人たちは非常に霊的な感性が鋭かったと思いますが)。
システムとしてそういうことにしたほうが『辛いことがあっても心の折り合いが付きやすい』し、『辛いことや苦難に対して、なすすべもなく全くどうすることもできない』という無力な状態からは、少なくとも解放される。そして、前向きに「次はどうしたらいいか」を考えることができる。
それって人間として生きる中で結構大きな意味を持つんじゃないかなあと思うんですね。
そのうち、文明が発展していくと、スピリチュアルは本質から若干離れていきます。
権力者が権威を示すために利用するようになったり(「自分は神だと名乗ったり」)、一部の人が搾取するためにシステムとして利用されるようになっていっていくわけです(中世ヨーロッパでのカトリック教会の聖職者や、お金を集めることが目的の大規模な宗教団体など)。
そういうわけで、どうしてもいまだに世の中では『スピリチュアルはうさん臭い、怪しい』『洗脳されるんじゃ、搾取されるんじゃ』というイメージが強いのかなと思っていますが…(いまだに結構あるスピへの偏見は、ここから多分きています)
結局のところ、もともとのスピリチュアルって、「自分を超える大きなものを憎まず、互いに尊重しあって、自分の生き方や進む先を考えるために前向きに活かしていく」ための知恵でもあったのかなあと、私は考えています。
スピリチュアルって便利なツールでもあるんですけれど、その便利さっておまけみたいなもの!それを通して結局この「自分を超えたものと調和して生きる」というのが一番大切な役割なんじゃないかなと思うんですね。例えていうと、武術を習うとき「強くなる」こと自体が目的なのではなくて「心身ともに健やかで強く優しい自分になることを目指す」みたいな感じです。
これからの時代に必要な「調和する力」
で、話はようやく本題に戻るんですが(安定の前置きの長さ・笑)
今の時代って、この原始時代とけっこう似てるんですよね。
今までの常識が通用しないで、予想外のことばかり起こる。ちょっと油断すると『自分は尊重されてない』『価値がない』『大事にされてない』『社会や世の中や時代が悪い』みたいな解釈をついついしたくなってしまうようなことばかりある。新しい技術ややり方に適応していかないと、取り残されて死んでしまうかもしれないという、そんな状況なわけです。
時代の変わり目なので仕方ないと言えば仕方ないのですけれども…私が思うのは、そんな中で『誰が悪い』とか『自分が大事にされてない』とか言っていても、根本的な解決にはならないということ、そして、今こそ『そういう自分たちが、理解できないものやよくわからないものに対して、攻撃的な意図を持たずに、調和して生きていけるか』というこがテーマになってきているなあ、と。
そして、もうすこし踏み込んだ深いことを言うと、『外側の世界』とは、結局自分の潜在意識の反映ですから、自分自身でもあるわけですね。外側の世界と向き合って調和していくことで、自分自身のいろんな側面や気質を受け入れていけるようになる。
そうなると、すべてが自分の味方で、しっかり愛されているということが体感的に理解できるようになっていくわけです。そして【物理的に何が起こっても、基本的には自己信頼と安心感のもと生きられて、人と適切に繋がって生きていける自分】になっていけると思うのです。
はい、でこの、【物理的に何が起こっても、基本的には自己信頼と安心感のもと生きられて、人と適切に繋がって生きていける】。
コレです!
これがね、多分これからの時代に一番求められていくことなんだと思うんです。
世界情勢を読むとか、新しいスキルを使いこなすとか、時代の波に乗るとか、そんなことは些末と言うか目先のことに過ぎません。結局はこれ。これがなければ、タフに生きていくことはできないし、上手くいったところで、結果や成果に左右されて自分を見失ってしまう。
新時代を生きる上で老若男女問わず、生き方を問わず、全員に必要になってくるのはココだと思うんですね。
本来のスピリチュアルってその考えをそのまま体現しているもの。だから、これを身に着けるには一番スピリチュアルを学ぶのが手っ取り早いと思うんですね。
正しくスピリチュアルを活用すれば、面白いし、役に立つし、人生が良くなります。だけど、それは言ってみればおまけ(ものすごいどえらいおまけですけど)。本当は、自分の周りと自分自身のことを深く深く愛して認めるための、非常にパワフルな『あり方』を学ぶためのもの。
もちろん、スピリチュアルを通さなくてもこれを身に着けられる人や体得できる人はわざわざやらなくてもいいんですけれど、そういう自分になりたいというのであれば、「適切な手順でスピリチュアルを学ぶ」というのはとってもオススメ、と言うわけです。
というわけで、マゼンティークはスピリチュアル講座やスクールを今日も元気にやっております♪
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