幸せになるためのスピリチュアル~スピリチュアルを「道具」にするために~

さて、世の中の雰囲気が「スピリチュアル」というものにかなり寛容になってきた昨今ですが、いまだに色んな偏見があるなあと思っております。

中でも個人的に根強いなあと思うのは「スピリチュアルができれば幸せになれる」「悩みがない状態になれる」というような固定観念(ブロック)です。

ということで、今回はそのような「スピリチュアルに関するブロック」と「スピリチュアルを使った幸せになる方法」に関して、個人的な考えをお伝えしたいと思います。

スピリチュアルが出来れば、悩みがなくなる!?

時々、人に「えっ、桃子さんにも悩みがあるんですか?」というようなことを言われることがあります。驚く理由のひとつは『困っても高次のアドバイスがもらえるだろうから、即解決できるだろう』ということなのかもしれません。

確かに私は、高次からのアドバイスは人より貰いやすい環境にあります。しかし、悩みのような自分の利害や執着に絡む問題は、正確にチャネリング情報を下ろせないことがあるため、高次からもらったアドバイスを鵜呑みにすることは出来ません。というわけで、かえってそれに惑わされたり、選択肢が増えて悩みの種になることもあります(笑)

また、「アドバイスをもらえただけで解決すること」と言うことばかりではありません。
世の中には「自分の力だけでは避けることが出来ないこと、どうしても体験しなければならないこと」と言うのがあります。例えば「自分が病気になる」ということを予知できても、自分の学びにどうしても必要と言うことであれば、避けることが出来なかったりします。そして実際に病気になれば、「体の痛みや苦しみ」「体の不自由や制限」を体験することは余儀なくされます。

そういうわけで、「スピリチュアルが出来れば悩みがなくなる」というわけではないのです。

スピリチュアルが出来れば、幸せになれる!?

私は10代の頃、自分に霊能力があることを非常に疎ましく思っていました。

「人から変に思われるから隠さなければいけない、ありのままの自分でいるのはダメだ」「霊感があるせいで(と言うよりは、コントロールが出来ず、自身の波動も低かったため)、低級な霊や雑念がたくさん入ってきて始終具合が悪かった」「自分自身が霊能力のおまけのような気がして辛かった」「霊能力を人に利用されているような気がして苦しかった」・・・というような気持ちをいつも抱えていました。
そういう理由で、霊能力に対するイメージは非常に悪かったです。ついでに言えば、悩みやコンプレックスも山のようにあって、いつも小さなことばかり気にしていたような気がします。

そういうわけで、自身の経験を考えると「チャネリングが出来れば幸せ」とは言えないなあ、と思います。

スピリチュアルを通して得られる「幸せ」とは

さて以上のことからお伝えしたいのは、「スピリチュアル=無条件の幸せ」ではけしてないと言うことです。なので、私は「『これさえしていれば幸せになれそうな気がする』という理由だけでスピリチュアルを用いる」ことはお勧めしません。
むしろ、ここまでお読みいただく中で「状況によっては使うことで余計に悪くなるんだな」ということも、なんとなく感じ取っていただけたのではないでしょうか。

ではここからが本題です。「スピリチュアルの力で幸せになる」ためにはどうしたらいいのでしょう。

自分自身の「幸福感の少なかった10代の頃」と「幸せを感じることが多い30代の今」・・・一体何が違うのかと言われると、やはり霊能力の『使い方』の一点に尽きると思います。

過去の私は、霊能力を主に「自分の穴を埋める道具」にしたり「言い訳」に使っていたなあ、と思うのです。
口では「人のためになりたい」と言いながら、「役に立つことで誰かに認められたい、愛してもらいたい」という見返りを潜在的に求めていました。そして、自分が孤独を感じたり、出来ないことがあると「霊能力のせいで」とか「私は普通の子じゃないから」と都合よく悪者にしていました。
世の中は自分の放ったエネルギーが還ってくる様に出来ていますので、そういうネガティブな動機のエネルギーが幸福感を呼んでくれるわけが・・・ありませんよね^^;

その使い方が変わったのは、やはりスピリチュアルを「自分と向き合うために使うようになってから」だと思っています。

ある時から私は、「誰かに認めてもらうためにはどうしたらいいか」「何が正解か教えてもらいたい」と言うことではなく、「自分は本当はどうやって生きたいのか」「何が楽しいのか」「自分で自分を縛ったり否定しているのはどんな部分なのか」という部分にフォーカスし、それを探求するための道具として使うようにしました。そして、「私を不幸にしやがって」と敵視していたスピリチュアルを使って楽しく遊ぶ、ということを始めていきました。

そうなると、面白いように生活が変わっていきました。
自分の気持ちに嘘がつけなくなり、誰かの目を気にして気持ちをごまかし続けるような生き方が少しずつできなくなっていきました。変化の渦中は一見トラブルと思えるようなことも含め、本当に色んなことがありましたが、今となっては必要なことばかりでした。
そして、厳しくて恐ろしいと思っていた高次の存在に対するイメージも変わりました。私の周囲の高次の人たちはみんな優しく個性的で面白く、そして時々しょうもなく・・・(笑)彼らと仲良くなっていく過程で、スピリチュアルにまつわる過剰な幻想やブロックも、自然とどんどんほどけていきました。そして、ずっと自分が憎んできた「スピリチュアルの世界」のことが、本当は好きで好きでたまらなかったということを思い出すことができました。

要は、スピリチュアルは「道具」に過ぎないということです。

つまり「その人が何をしたいか」に基づいて使われるべきものなのです。「どうなりたいか」「何をしたいか」という用途が明確にあるとき、スピリチュアルは非常にパワフルな助けになってくれます。そして、「何をしたいか」はご自身でなければ決めることができないのです。

と言うわけで、当サロンではお客様が「何をしたいかが明確にある場合」や、「何をしたいかを探したり、自分のホントの声を聞くことに役立ちそうという場合」に、お手伝いをさせていただいているというわけです。

スピリチュアルは「火」と同じ

さて、「道具」として適切に使うためには「道具」の特性をよく理解しなければなりません

例えば人間は道具として「火」を使ってきましたよね。
火は「周囲を明るくする」「何かを暖める」ためには、とても有効な道具です。だけど、「何かを冷やす」ためには向いていませんよね。また、火は近づきすぎると火傷する危険があったり、特定のものを燃やすと有害な煙が出たりもします。使い方によっては「人間を害する」可能性のあるものです。ただし、ある程度誰にでも扱うことが出来ますし、用途も広く、上手に使えるととっても生活が便利になります。

実は、スピリチュアルもこれと全く同じです。

スピリチュアルは誰でも扱えるものですし、幅広いことに用いることができます。しかし、万能ではありませんし、用途によっては使うことが向いていないこともあります。場合によっては危険もあります。

これは、全ての道具に言えることで、当たり前といえば当たり前なのですが、どういうわけかスピリチュアルに限っては「これさえあれば何でも出来る」と思ったり、その逆で「過剰に危険」だと思ったりされる場合が非常に多いなあ、と思います。特性さえ踏まえて、適切に使うということさえ心がければ、過大評価することもありませんし、怖れる必要もありません。

そういうわけで、霊能者が力を入れるべき仕事の中に、「『道具としてのスピリチュアル』の特性にどれだけ詳しくなれるか」ということ、「用途に応じて上手な使い方を考えたり、使うことが適切でないときには使わないように判断できる」こと、そしてそれらを一般の人たちにもっと知っていただくこと・・・という部分があるのではないかなあ、と思っています。

・・・とはいえ、宇宙は広大であり、スピリチュアルの世界は奥が深いです。そして、私もまだ本来の自分に戻る道の途中で、まだまだ分からないこともたくさんあります。知識や技術や人間としての経験・・・もっともっと研鑽を積んでいきたいなあと思っている次第です。

さて。そんなわけで「道具」としてのスピリチュアル・・・イメージがついていただけたら嬉しく思います。興味が出てきた方は、どうぞ遊びにいらしてくださいね♪

高次の愉快な仲間たちとともに、お待ちしております(*´v`)

 

 

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