こんにちは、マゼンティークの神代桃子です!
さて、生きていると「痛み」を避けることはできません。悩みや問題、悲しいことや腹が立つこと、思うようにいかないことも人生にはたくさんありますよね。
というわけで今回の記事では、そうした「痛み」のスピリチュアル的な解釈と、向き合いかたのヒントをお伝えします。
「痛み」が教えてくれること
痛みを感じることは嫌なもの。ですが、痛みはいつも大切なことを教えてくれます。
というのも、人間は痛みを感じることではじめて
自分が何にこだわっているのか…
何を大切にしているのか…
人に何を求めているのか…
自分の何を裁いているのか…
そんなことが見えてくるようになるのです。
つまり、「痛いとき」というのは『本当に大事なものや、もう自分にいらないものをはっきりさせるチャンスだよ!』というセンサーが鳴っているときでもあるのですね。
また、もう一つの側面としては「今まで自覚していなかった痛みが、癒しのタイミングを迎えている」という合図でもあるとも言えます。
というのも…
人は誰でも内面に「見えない傷」を無数に抱えて生きています。そして中には、まだ塞がっていないまま、癒されるときを待っている傷もあるのです。
しかし、人は自覚していないものを癒やすことはできません。痛みを感じて、自覚することで、初めて「癒やす」事が可能になる…というわけです。
別の角度から言えば、「痛みを感じるような出来事が起きる」というのは『潜在的なその傷を癒せるようになるだけの準備が整ったから、痛みを感じて傷が浮かび上がるようなエピソードが起きた」ということなのですね。
つまり…
痛みを感じるときは『自分の大事なものを再確認してね!』というサインだったり、あるいは『ようやく過去の痛みを手放せる時期がきたよ!』ということでもあるのです。
痛みは合意の上で起きている?!
また、潜在意識のレベルで見ると…
急なハプニングや対人的なトラブルなど「痛みが起きる原因になったことって、実は、『自分から進んでお願いしてやってもらっていたり、合意の上で行われている』ということも多々あります。
つまり表面的には痛がっていても、潜在意識では、それが自分に必要だから起こしてもらっていたり、あるいは、その経験自体を楽しんでいる・・・ということがしばしばあるんですね。
そういった味方をすると…実は「敵に見える人」も「苦手な人」も
「自分に学びを与えるため、イヤな役回りを演じてくれている人」
「自分がどうしても体験したいことに、付き合ってくれている人」
「自分の人生をドラマチックに演出してくれる、スパイスの役を引き受けてくれている人」
…に過ぎないということになります。
つまり、あなたの人生には「敵」はおらず、「敵の役をしてくれている味方」しか存在しないということでもあるんですね。
痛みと向き合うためのヒント
ではここからは、具体的に向き合うためにどうしたらいいかということを考えていきましょう。
①目の前の痛みに呑まれずに、冷静になる努力をする
痛みがあった時に、どうしても感情的になったり、その時の痛みに溺れてしまいやすいのが人間というもの。
ですが、主体的に手放すためには、「吞まれない」というのが非常に大事。
『痛い』『苦しい』という激しい感情が浮かんで来たら「これはある種の発作だ」という風に、少し離れた位置から自分を見られるようにしてみましょう。
『痛み』がある程度収まったタイミングに、あとからしっかり向き合って紐解くのもお勧めです。
②外側や相手に答えを求めるのをやめ、自分の内側の理由を探す
痛みや苦しみがあるときにはたいてい
「あの人はなぜこんなことを…」
「わたしがどうしてこんな目に遭わされるのか…」
という『外側の理由を探す』視点で見てしまいがち。
ですが、『向き合う』ということをしたいときには、
「この痛みは、私に何を訴えたいのかな?」「私は何に気付いてほしくて、こんな出来事を引き起こしているのかな?」
…と、自分の内側に問いかけてみましょう。
自分の感情を生み出しているのは、いつでも相手ではなく自分。
「自分があえて、進んでこれを経験しているとしたら、それはなぜだろう?」という視点で、自分の気持ちを見つめてみましょう。
③今の状況を信頼する
痛みや苦しみがあるとき、人はどうしても「自分はこんな目に遭うということは価値がない人間なんだ、愛されていないんだ」と解釈してしまいがち。
ですが、「この状況にあっても、自分はちゃんと価値がある人間だ」「今の状況は必ず、将来的ないい方向に繋がっているはず!」…と意識してみましょう。
心からそう思えなくても、そういう意図を持つだけで少しエネルギーが変わってきますよ(^^♪
*
さて、いかがでしたでしょうか。参考になるものがあれば幸いです。
ここまで「痛みは学びのチャンス」とお伝えしてきましたが…私は、「痛み」は必ず癒さなければいけないというわけではないと思っています。
決して、「向き合う方が素晴らしい」というわけではありません。「向き合わない」という場合も、その経験を通さなければ分からないことが必ずあるからです。
ただ「この奥を見つめてみたい」という気持ちが持てたときは・・・勇気を出してその奥にあるものを覗いてみませんか?
マゼンティークは、自分だけで向き合うということが難しいというあなたのお手伝いも、喜んでさせていただきます。
ピンと来たときには、どうぞ遊びにいらしてくださいね。