私のブロック公開します~手放しのヒントあれこれ~

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今までいろいろなブロックの話をしてきましたが、ブロックはどうしても具体例がないとわかりにくいものです。そこで今回は私の個人的なブロックの話を書いてみようと思います。

自分と向き合いたいと思っている方のお役に立てれば幸いです。

ブロックがある状態、ない状態の違い

私は日常的に、ブロックを外すためのワークやら内観やらをしているのですが、先日、プライベートで行っているワーク会にて「思えばサロンの開業時(2年半前)のこうなりたい!という理想とは全然違うところに来ているな。でも今、あれは全然叶っていないのに、幸せを感じているなあ」と気が付きました。

そういうわけで「当時何を目指していたのかな?」というのを思い返して書いてみることにしました。

(公開する意図で書いていなかったので、すごく字が汚くて申し訳ありません)

左側が当初私が目指してたもの、そして右側が今の自分がそれについてどうしているかを書いたものです。皆さんはどう思われますか?

左側、ブロックまみれやん!!!

と私は笑ってしまいました(笑)

【注:これはブロックにフォーカスして書いた表なので、100%こういう思いだけを原動力に仕事していたわけではありません】

「こう思われたい」「こう見られたい」「起業したからには○○するのが普通」というのばっかり。このように、自分がこうしたいと思った時に、それが周囲の事情や外側から見られた時の視線を気にしていたり、「これが世の中当たり前」と取り扱っているものであれば…それはブロックなのです。

それに対して右側(現在の私)は、それらのブロックがほとんどなくなっています。たいていのものは「どうでもよくない?」みたいな感じです。なんとなく肩の力が抜けている感じがしますね。

さて、ここで少し解説ですが…

「ブロックがある」ということは、言い換えれば「誰かに何かを証明しようとする」ということでもあります。

例えば「おしゃれに見られたい」というのは、「(本当の自分はダサいと思っているから)ほら、おしゃれなんだぞ!どうだ!」と示すことであるし、「他の霊能者よりすごいと思われたい」」というのは、「(実は自分は大したことないんじゃないかと思っているから)ほら、他の奴よりすごいんだぞ!どうだ!」と示すことでもあるのです。

また、この表にはたまたま書いてませんが「自分はどうせうまくいかない」などのネガティブなブロックも「(自分の実力のせいではなく)自分にうまくいかないという思いがあるから、実力が発揮できずうまくいかないんです」という証明だったり、あるいは「過去に親にこんな風に育てられたからうまくいかない(=自分でなく親のせい)」という証明だったりします。

でもその証明はどれも実は「復讐」なのです。例えば「おしゃれに見られたい」というのは「過去に私をダサいと扱った奴!今私はこんなに輝いているぞ、ざまーみろ!」という意思が少なからず含まれます。そして、「過去にこんな風にされたからうまくいかない」というのは「お前が傷つけたせいで今でもこんなに私は大変なんだぞ!嫌がらせとして苦しんでやるからな!よく見とけよ!」というニュアンスが根本にあるのです。

でも、復讐というのは「人生の本来やるべき本筋とはズレたところにあるもの」です。そして復讐には多大な労力がかかります。なので、それを追いかけているといつまでたっても「本来の自分がなすべきこと」にたどり着けないのです。

右の「ブロックがかなり外れた状態(完全ではないにしろ)」の方を見て頂けると何となく感じ取れると思うのですが、ブロックがないと「自分がどういう存在かを証明しようとしない」=「そのままの状態であることを自分に許せる(自分が未熟だったり不完全なことを、周囲や自分に隠そうとする必要がない)」という感じになるのですね。

こんな風に手放しました

さて、ではこの表を踏まえて気が付いたことを、大まかにまとめてみたのが次の図です。

このまとめを書いてみて、改めて思ったこととしては「大部分のブロックは、当時自分では全然自覚してなかった」ということでした。

ブロックは本人にとっては「これまでこうやって生きてきたから、それが当たり前」というものになっていますので、自分では気が付かないのです(これがブロックの手ごわいところです)。

では私がこのブロックをどうやって外してきたのか…というと、別に特別なことはありません。

ただ「その都度自分の気持ちに向き合ったりしてブロックを一つ一つ外してきた」ということがまず一つ、そして「とりあえずいろいろやって試してみた」という感じです。

例を出して説明します。「SNSを活用!すでに起業している人たちとどんどん交友!」…というような部分です。

私は当時これがブロックだと思っていませんでした。起業したからにはこういうことをするのは当然だと思っていたのです。なので疑いなく、やみくもにFacebookをやってみたり、個人事業主の交流会に行って名刺を配りまくったり…みたいなことをたくさんしました。しかしそれはうまく思うような成果につながりませんでした。SNSはあまりいいねが付かないし、交流会に行っても友達はできません。当然それを通しての集客もできませんでした。そしてそんなとき、私は自分が否定されたかのような挫折感を感じました。

「みんなやってるんだから、頑張ってやらなきゃ」とか、「これができないんじゃ集客なんてできないぞ」とか、「どうしよう、あんまり見てもらえてないようだ、これじゃヤバイぞ」とか、「努力が足りないのでは。もっと本を読んだり詳しい人に聞いたりして勉強しなきゃ」とか、いろんなことを思いました。そしてやっぱり駄目だと「=できない自分はダメだ」というところに結論をもっていっていたわけです。

ここで『「出来ない自分がダメだということを認めたくない」=イヤでもムリヤリ頑張り続ける』という選択肢もあったのですが、当時からすでに私は「ブロック解除」を仕事にしていたので、『それだと根本的な解決にはならなそうだ』『これはブロックによるものらしい』ということは何となくわかりました。

そういうわけであれこれ内観したりして掘り下げたところ、

「SNSや人とのつながりで集客しなきゃいけないのはそもそもなんでか?」

  ↓

「それがビジネスではどうやら『普通の』やり方のようだから」(※私の勝手な思い込みです)

  ↓

「普通だということを証明しようとしている→私は『自分は普通ではない』と思っていて、それを恥ずかしいことだと思っている」

というところに行きつきました。

そして、なんで「普通じゃないと思っているのか」というところを掘り下げた結果、「小さなころから霊感がある自分が変な子だと扱われてきた」ということに猛烈なコンプレックスを感じていたというところに行きあたったのです(注:私の場合、この「私は普通じゃない」というのはいろんな局面でことあるごとに出てくるおなじみのブロックでもあります)。また、幼いころいじめられていて仲間外れにされたりしていたので「みんなの輪に入る」ということができず、それができない自分がとってもダサいと感じたり、自然体で大人数とワイワイできる人にとても憧れを持っていたことも思い出しました。

つまり「普通じゃない」「仲間外れ」ということで傷ついたかつての私はそれを根に持っていて、「私はこんなに普通なんだぞ!どうだ!」と世の中に証明し続けようとしていたり、また、私を仲間はずれにした特定の相手に「お前は私のことを仲間はずれにしたが、私はいまこんなにイケてる仲間に囲まれてるぞ!お前なんかよりずーっと格上なんだ!どうだ!」とこれまた証明しようとし続けていた、ということなのですね。

そのきっかけになったエピソード(これを説明するととっても長くなるので、詳細は割愛します)に立ち戻って、その場面での悲しみや怒りをしっかりと感じました。すると、怒りや悲しみ(復讐心)に隠れていたものが少しずつ奥から出てきます。それは「ある特定の存在(大体のブロックは、多くの場合ここが『親』に行き当たります)にわかってほしかった、守ってほしかった」というような「愛情を求める声」だったりします。つまり『自分は愛を求めたが、相手から愛されなかった』という思いがブロックを作っていたわけです。でもそこで立ち止まらず注意深く掘り下げると「その場では自分には理解できなかったけど、相手なりにきちんと自分を愛してくれていたらしい」ということに行き当たります。そうすると、ブロックが途端にほどけ始めます。「よかった、復讐する必要はなかったんだ!」「勝ち負けにこだわっていたけどそもそも勝負する必要はなかったんだ!」ということになるわけです。

さて、先ほど「ブロックは復讐」と書きましたが、実は復讐で終わりではありません。その奥には「特定の誰かに愛を求める声」が必ずあるのです。そして、その相手に愛情がなかったかというとそんなことはなく「相手も自分のことを愛していたけど、すれ違っていた」「相手は良かれと思ってやっていたけど、こちらに伝わっていなかった」ということが、ブロックを適切に掘っていくとほとんど必ず判明します。つまり、最終的には必ずブロックは「愛」に行きつくようになっているのです

「相手も自分を愛していた、そもそも問題なんてなかったんだ」…というところまで行きついたとき、人はようやく復讐心を手放すことができ、ブロックに縛られない状態(ここでいうと「普通でも普通じゃなくてもいいや」)になることができるわけです。

さて、私の場合はブロックを手放したあと「ではもうSNSを使っても使わなくてもいいということになるけど、どっちがいいだろう」→「じゃああんまり使ってて楽しさを感じないし、面倒が多いから、使うのやめちゃおう」というようになりました。

そして実際に「やめる」という行動を起こしてその結果を自分で確かめてみました。私の場合は実際にSNSをやめると、その時間をもっと別な作業に費やせたり、自分が必要以上に思い煩わされるということがなくなり「ああ、やめてよかったな」と腑に落とし、自信をもってやめることができました(もしここで「やってた方がよかったな」となれば、またSNSを再開すればいいのです)。ブロックを手放したとき、たまに「解除したら終わり」だと思っている方がいますが、解除しても何もしなければ状況は変わりません。手放した後はこのように、「行動してどうなるか確かめて腑に落とす」というところまでがワンセットです。ここまでくると無事に「手放せた」という状態になるのです。

(※注:これは、「SNSを使うのが良くない」とか「SNSを使う人はブロックがある」と言っているわけではありません。単に、「私の場合はSNSが合わないのに、ブロックがあるために無理に使っていてそれが負担だった」という話であって、SNSを楽しく活用出来たり、上手に使いこなせる人はどんどん使うといいと思います)

さて、ここからは補足の説明です。

ブロックはきちんと手放すと、何かを証明する必要がなくなるので、多くの場合は「どっちでもよくなる」ことが多いです。よく誤解があるなあと思うのですが、例えば「自分はお金を稼げない」と思っている人が「お金を稼げるようになる」ということがブロックが外れたということだと思っている方が多いのですが、実はそうではなくて「お金があってもなくてもそれなりに幸せ」というように『お金という尺度に必要以上に縛られていない』という状態こそが、ブロックが外れた状態と言えます。

「お金を稼げるようになる」ことで自分の不安を払拭してしまうと、「お金を稼げない」時はとっても心が不穏になりますし、「お金を稼ぐ」ことができても、それをキープするために不安になったり、有頂天になって地に足が付かなくなったり…してしまうのですね。どちらにせよ自分が苦しくなってしまうのです。

また、「お金なんて必要ない!」「そんなものなくたって生きられる!」と不当にお金の価値を認めない状態になると、それはそれでまた別のブロックができてしまっている状態です。ブロックがないというのは「選択肢に制限がない(つまり、お金を稼いでも稼がなくてもいい)」状態を言います。この例えでいえば、「お金を人生の道具の一つとしてフラットに扱える」「お金の価値と自分の価値を連動させない」というのが、本当にブロックのない状態と言えると思います。

結局は地味な作業の繰り返し

さて、当時のブロックを書き出して面白くなってきた私は、ついでに当時どんなことが怖かったかも思い出して書き出して見ることにしました。

それがこのメモです。

めちゃくちゃ自信がないのが手に取るようにわかりますね(笑)

そして、ことあるごとに「攻撃されるかもしれない」とか「自分の手に負えないことが起こったらどうしよう」という不安を感じているのがわかります。つまり当時の私は「自分は能力がない」「気を抜いたら攻撃される・大変なことが起こる」という思いでいっぱいだったのですね。

さて、「自分に自信がない」という方は世の中にたくさんいるのではと思います。そして、その中には「自信がない」ことをどこかで美徳だったり謙虚さだと思っている方もいます。

でも実は…「自分に能力がないと思っている」=「自分は人より下だと思っている」ということは、「自分を含めて人を格付けし、上下をつけている」ということでもあるのです。当時の自分に関してもっと踏み込んで言えば「上の人にはビビり、下の人は見下している。そして自分が上でありたいと思っている」という状態にあったなあと思うので、実際は「自信がない」は謙虚さとは真逆のところにあるのですね。

そして、「攻撃されるかもしれない」の裏にあるのは「自分も他人も信用していない」ということ。こんな状態ですから、当時の私にとって世の中は「心を許せない、とても恐ろしいところ」というように見えていたのでしょう。

さて、これらのブロックに関しては、具体的にどのように解除したかは覚えていません。ただやはり、先ほど挙げた例のように、仕事を通して一つ一つ目についたブロックを解除していった結果、手放せていけたものだと思っています。

例えば、一人一人のお客さまに対して、うまくできないと感じたり、力不足を痛感したり、うまく行ったのになぜかモヤモヤがあったり。またある時は、高次からのお客様への厳しいメッセージが自分にも当てはまるように思えて耳が痛いということもありました。そんなことがあるたびにいちいち立ち止まって、先ほどの例に挙げたような内観をして手放して…ということを繰り返しました。

ことブロック解除に関しては、霊能者としての研鑽を積む意味もかねて、チャネリングやエネルギーワークを駆使して本当に思いつく限りのいろんな方法を試しましたが、結局は自分できちんと「自分は何にモヤモヤしているのか」「何を恐れているのか」ということを見つめ、自覚し、そして見つけたものをまた仕事で還元し結果を確かめる…というアナログで地味な作業に勝るものは(現時点では)ありませんでした。

そんなことを積み重ねていった結果、余計なものが次第にそぎ落とされていき、どうあるべきかということが自然に見えてきました。ブロックは言ってみれば「雑音」なので、ブロックがなくなればなくなるほど本質的なことや大事なことがよく聞こえるようになるのです。

例えば、先ほどの「自信がない」に関しても、「だから闇雲に能力をつけよう」とか「人にたくさん評価してもらって安心しよう」とするのではなくて「能力があるかどうか、できるかどうかは関係ない。その時の自分の力を必要とするお客様が必ず来てくれる。そして、精いっぱい誠意をもってやれば、その時にお互いに必要なことが必ず起こる」「自分がその時にいいと思ったことを、ただ淡々とやり続けよう。そうしたら、宇宙がふさわしいところへ運んでいってくれるだろう」というような考えに自然に変わっていきました。

それを2年半積み重ねるとこれだけ変われるものなんだなあというのは、自分でも今回書き出してみて嬉しい驚きでもありました。でも結局は、お客様があっての気づきなのだとも思っています。

人は一人では気が付けないもの。ブロックも「他者との関係性」「何かと比べた時」「社会の中で自分を見た時」に初めて浮かび上がってくるものです。ポジティブな感情だけでは人は変われません。迷いや不安、心がざわつく出来事は、自分に何かを教えてくれる尊い先生なのです。

ブロックがあるのは悪いことではない

さて、ここまで散々「当時はこうだった」という話をしましたが、だからと言って当時の私が悪かったとは、私は思っていません。

当時の私はブロックまみれでありながらもあんなに一生懸命頑張っていたし、当時の自分なりにいつもベストは尽くしていたし、その時の私にできる働きはしてきたと思うのです。

だから、かつての自分を責めようとも恥ずかしいとも思いません。愛しいものとして、そしてあの時にしかできないことをしていた尊いものとして、そして今の私にたくさんのことを教えてくれた存在として大切にしたいと思っています。そしてそんな私を育ててくれたお客様には本当に感謝の念しかありません。

さて。

今はさもブロックがないかのような口ぶりでいろいろと書いてきましたが…(笑)、今の私もおそらく少し後に振り返ったら、きっとブロックまみれに見えるのだろうなと思っています。でも、それでいいのだとも思っています。人間は死ぬまで未熟なままで、それを欠点と捉える必要はありません。その時その時に自分にとっていいと思ったことをやればそれでいいのです。

また、ブロックブロックとたくさん話してきましたが、ブロックをみだりに手放そうとしすぎないことも大事です。「ブロックがあったらダメ」「ブロックさえなければ幸せになれる」というのもまたブロックなのです

ブロックがあってもなくても人の価値は変わりません。一生ブロックまみれでも、十分人は幸せでいられますし、かけがえのない価値があります。そこに優劣はありません。あくまでも「もし、人生の本筋を追いたいと思った時、支障になるブロックがあれば、外していった方が楽だよ」というだけの話なのです。

そのうえでもし、自分に必要だと感じることがあれば、是非一度、サロンの方に遊びに来てくださるととても嬉しいです(*^^*)ピンときた方はお気軽にお問い合わせくださいね。

さて、ずいぶん長くなりました。この記事が何かのお役に立つことをお祈りしております。長い文章をお読みいただいて、本当にありがとうございます。

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