「ブロックの手放し」のお話をすることが多いこのブログですが、ブロックは「偏見」「思い込み」と言い換えてもよいものが非常に多いです。
ということで今回は『思い込みや偏見がどのように生まれるか』『それとどのように付き合えばいいか』という話をしたいと思います。
まずは、わかりやすいように例をあげて説明しますね。
例えば「ニューヨークはオシャレな街だ」という思い込みがある人がいるとします。
最初は『テレビやSNSの投稿などで「ニューヨークに住むオシャレな人や場所」をたまたま取り上げているのを3〜4回程度目にした』ということから始まります。そうすると「どうやらオシャレな街なのかも」と言う『先入観』がここでまず生まれます。人は、後から入ってきた情報より、最初に入ってきた情報を信用しようとする傾向があるのです。
そして一度そうした先入観を持つと、それ以降は、ますます「オシャレに見えるような話や記事や投稿ばかり目に入り、オシャレでないことを取り上げているものは目に入らなくなる」ということが起こります(心理学の用語で、これを「確証バイアス」といいます)。そうなると「やっぱりおしゃれなんだ!」という確信がどんどん育っていきます。
さらには「ニューヨーク在住なのにオシャレでない人や場所」を見かけても、「あの場所は極端に治安の悪い場所のようだから」とか「あの人はニューヨークと言ってもかなり郊外に住んでるようだから」とか言う理由で、なんとか『例外』にしようとします。人はこのように無意識に自分の思い込みを守ろうとする傾向があるのです。
そのようにして『オシャレな街なのかも』が、最後には『ニューヨークは当然オシャレな街だ』という偏見となるのですね。
さて、これはわかりやすいように極端な例え話をあげましたが(そして傷つく人がいないよう、ポジティブなイメージにしましたが)。。
実は我々は、日常的にそして無意識に、こういうことをたくさんしているのです。最初に入ってきた少ないデータを元に「先入観」を持ち、そして、それに根拠のないデータや人づての話と言う栄養を与えて、「偏見」に育て上げているのです。最初の小さな針先のような「もしかしたらこうなのかな」が「やっぱりそうなんだ」になり、そして最後には「こうに違いない(自分にとっては当然のことすぎてそう思っていることすら自覚がない)」という状況になるのですね。
人は、このような「偏見」を、自分の周りのあらゆる人、状況、知識、環境に対して抱いています。
例えば「自分は本番に弱い」「炭水化物を食べると太る」「子育ては大変」「いま転職しようとしてもなかなかいい仕事は見つからない」「男の人は女の人に甘えられるのが好き」「仕事場面では自信家の人が出世する」「お金があるのが幸せ」‥みたいな感じです。
そして、このような偏見はやがて自分を縛っていきます。
先の例で言えば
「自分は本番に弱い」→緊張状態になると必要以上に意識してプレッシャーになる
「炭水化物を食べると太る」→炭水化物は食べたらダメ
「子育ては大変」→楽したらいけない、大変な思いをしないといけない
「いま転職しようとしてもなかなかいい仕事は見つからない」→転職してはいけない、転職する場は仕事探しに苦労しないといけない
「男の人は甘えられるのが好き」→(女性の場合)甘えられない自分は可愛くない、無理して甘えて相手を立てなくては
「仕事場面では自信家の人が出世する」→自分に自信がないので出世できない、自信家のように振る舞わなくてはならない
「お金があるのが幸せ」→お金を稼がなくては幸せになれない、貧乏な自分は不幸だ、稼げない自分は駄目だ
…などなどです。そして、説明するまでもなく、これらはすべて「ブロック(事実ではなくて、ただ自分がそう思い込んでいるだけ)」です。これらは自分の考えや行動を無意識に制限してしまうので、どうしても人生の「自由度」は下がってしまいやすいのですね。
さて。では、どうしたら偏見にとらわれない視点が持てるのか。
今回は2つの考え方をオススメしたいと思います。
まず一つ目に…『「物事には多面性がある」という考えを持つこと』です。
物事には必ず多面性があります。ニューヨークはおしゃれな人もあるけど、そうでない人もいます。炭水化物を食べても太らないと場合もあります。子育ても大変な時もそうでない時もあるでしょう。一つの面に支配されずにいろんな部分があるということを理解しましょう。
自分が「これは○○だ」と何かに対してイメージを持っているのなら、「本当にそうかな?」とか「違う部分はないかな?」と突っ込みを入れるような癖をつけるといいでしょう。ここで大切なのは、白黒はっきりつけず、一見矛盾するような面も「両方あるんだ」と理解することです。
例えば、自分に対しても何かが許せなくて「自分は心の小さい人間だ!」と思ったとしても、そのように裁く必要はなく、かといって無理に「そんなこと思っちゃダメだ」と自分の考えを抑えつけなくてもいいのです。「この部分についてはたまたま心が狭くなってしまうけど、でも寛容な部分もある」とそうでない部分に目を向けるようにするといいですね。
次に2つ目におすすめなのが『物事は変化するから、「今日はたまたまこうだっただけ」』という考え方を持つこと』です。
目の前の現実は日々変化を遂げています。特に今は時代の大きな変わり目なのでその変化の幅が激しいのです。以前はこうだったけど今はもうこうなっている…ということは多々ありますから、「今までこうだからこれからもこうだろう」というのではなくて、「あの時はこうだった、そして今日はこうだった、では未来はどうかな?」という感覚を持てるといいですね。
その時その時「今はどうかな?」という判断をして、引きずらないこと。そうすれば、会わない間に必要以上にくよくよ考える必要もなくなるかもしれません。
さて。
今回の「偏見」のお話ですが、実は一番人が偏見を持ちやすいのは「自分自身」に対するものだと私は思っています。
大抵人は「自分はこんな人間だ」という像を持っています。いわゆるセルフイメージと言われることもあるのですが、これが必要以上に強いと、これからいくらでも変わっていけるのに、そのイメージに自分を縛り付けてしまうのです。
「私は心配性だから」
「私は愛されてこなかったから」
「私はせっかちだから」
「私は自尊心が低いから」
「私は苦労してきたから幸せになれない」
…そんな風に思う癖はついていませんか?「あ~、あるなあ」と思ったあなたは、先ほど紹介した二つの視点で、それを書き直してみましょう。
『そういう部分もあるし、そうでない部分もある』
『いままではたまたまそうだったけど、この先はわからない』
さて、そしてそのイメージの呪縛を覆すには、『これからどうなりたいか』にフォーカスするのがとっても大事です。
今までのことや周りの目は一旦脇に置いておいて…
この瞬間から新しい人間に生まれ変われるとしたらどうなりたいですか?
お金が300億くらいあって、何をやってもうまくいくとしたら何をしたいですか?
どうぞ、それをしっかり考えて、そこにエネルギーを注いでください。そして、そのための行動をしてください。目標を定め、そして、その方向へ向かうための正しい努力ができたなら、あなたは必ず変われます。
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