こんにちは、神代桃子です!
さてさて、以前のブログで「自分が無意識に相手を傷つける可能性」についての話をしました(読むにはこちら)。
そこでは「自分が悪意なく誰かを傷つけてしまうことがないように気を付けるには」みたいなお話でしたが、これについては実はもう一つ、別の見方があるんです。
それは「気を付けるも何も、自分にも相手にも必要なことだったから起きたにすぎない」という考え方です。
前回の「傷つけてしまったら大変だから、気を付けよう」というのは、『物事を外側からコントロールしようとする視点』なのですが、この「起きるべくして起きた」というのは『物事は内側にあるものが投影されているという視点』…つまり内観的なものの見方になるんですね。
これらは、どちらだけが正しいとか優れているというものではなく、「自分らしく生きる」ためには、スイッチして使い分けていきたい、大切な二つの視点なんですね。
ということで、今回は「内側から見た内観的な視点」から、「無意識に人を傷つける」について解説をしてみたいと思います。
「起こるのは必要だったから」という考え方
「世の中には自分にも相手にも必要なことしか起こらない」…これをご説明するにあたって、内観のベースとなる考え方をご紹介します。
それは『この世は自分の潜在意識の反映で、自分が「望んでいること」あるいは「必要なこと」しか起こらない』というもの。
『内観』というのはこの考え方に基づいて『周囲の人がこういうことを自分にするということは、自分の潜在意識にはどういう意識や望みが隠れているのだろう』と探して取り出す作業でもあるのです。
さて、ということで、この見方に立って考えてみると…
『無意識に誰かを傷つけてしまった』=
自分は『無意識に誰かを傷つけてしまうことを望んでいる』か『必要』だったし、
相手も『それを望んでいる』か『必要』だった
ということになります。
さて、このように「基本的に世の中に起きるのは、自覚はしていないけれど、WIN‐WINでやっていること」だけ…というのがこの視点です。
傷つけられることで得られるメリットもある
「ええ、傷つくことなんて望んでないよ!」と思う方もいると思いますが、実は潜在的に、人は必ずメリットがあることしか起こしていません。
例えば、「傷つけられた」側のメリットの例を挙げると
「傷つけられることが愛だと誤解している(つまり、愛を貰っている)」
「傷つけてもらってショックを受けることで、被害者の役割を演じることができる」
「傷つけられることによって、本当に目を向けなければいけないものから、目を背けられる」
「傷つけてもらうことで、相手に罪悪感を感じさせたいと思っている」
「傷つけられることで、『こんなひどいことされたよ!』と仲間と盛り上がれる」
「傷つけられることで、自分が人を同じように傷つけていないか考える視野が得られる」
「傷つけられるという人生経験から得たいものがある」
というようなことがあるんです。
このように、一見「不幸」だったり「辛い」出来事でも、人によって様々なメリットが隠れているんですね。
視点を変えて世の中を見てみよう
そうなった時に見えてくるのは「実は誰も不幸になっていない」という少し不思議な世界になります。
たまにこの考え方をお伝えすると「じゃあ、不幸なことが起きるっていうことは自分が悪いってことか!」と受け止められる方がいるのですが、そういう意味ではありません。
内観的な考えが教えてくれる大事なことは
「欠乏感があったとしても、あなたは実際には何も奪われていないし、完全な存在」なので、急いで何かを取りに行く要はない、ということ。
そして
「今の現状が気に入らなければ、視点を変えて『どういうブロックが今作用しているのか』を調べれば、世界を変えることが出来るという選択肢がありますよ」
ということなんですね。
さて、そう考えた時、あなたには世界はどんな風に見えますか?
あなたがこれまで傷つけたと思っていたこと
あなたがこれまで傷つけられたと思っていたこと
思い返してみてください。
それらすべてが互いの同意の上だったとしたら…それぞれはどんなメリットをそこに見ていたと思いますか?
「今まで見ていた世界の見方を変えることを選ぶこと」
時に勇気の必要なこともありますが、それが自分の世界を変える第一歩になることはとっても多いんですね。
さてさて、さらに踏み込んで自分を見つめたいと思ったら。
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