「受け入れる」の本当の意味~受け入れられないことを、無理に受け入れようとしていませんか?~

こんにちは、神代です。

さてさて、本日は「受け入れる」ということに関するよくある誤解と、正しい受け入れ方についてのひとつの方法について、お話したいと思います!

 

いつからか「受け入れる」という言葉が、非常にメジャーになったように思います。「人生をより良く生きるためには、どうやら『受け入れる』ということが必要らしい」という風に漠然と感じている人はかなり多い様子。

実際に、セッションを受けに来られた方から「○○を受け入れたいのですが、できなくて…」みたいな言葉をお聞きする機会も多いです。

 

が!

 

「受け入れなきゃ!」と思っている方のほとんどが、「受け入れる」ことの意味を誤解しているんです。

 

 

「受け入れる」のよくある落とし穴

 

というのも。

 

「受け入れよう」とわざわざ言うからには、だいたい「受け入れがたいもの」とか「嫌だと思っているもの」が対象になるわけですよね。

 

例えば、

 

・嫌なことを受け入れる

・うまくいっていない現状を受け入れる

・(自分が好きでない人が)ありのままの自分を受け入れる

・許せないと思っているあの人を受け入れる

 

みたいな場合が多いのではと思うのですが…

 

多くの方は受け入れようとしたときに、受け入れがたい対象を無理矢理「肯定しようとする」のです。

 

つまり、本当は納得していないのに、無理に納得して、相手に対して「いいよ」と言おうとする。もっと言えば、「対象に対する嫌悪感や嫌な気持ちを、無理矢理感じないようにしようとしている」という作業をしようとするわけです。

 

これって、受け入れるということではなくて、単に「本音に蓋をして、嫌いなものを無理矢理好きになろうとしている状態」…つまり、自分に対する強要なんですね。

 

 

実は、この「受け入れ方」をしてしまうと、かえって面倒なことになってしまいます。

 

それは、「本当は嫌なのに、自分に対して、本音に逆らった行動を強要している」という波動が自分から出てしまうため、「自分は嫌だけれど、従わざるを得ない状況」や「本音を押し殺さなければならない状況」を引き寄せてしまうんです。そして、その状況に対してまた、無理矢理「受け入れる」ことをしようとする→また「受け入れがたいことが来る」という繰り返しになってしまうんです。

しかも、人は自分対自分にしていることを人にもしてしまう生き物ですから、自分が我慢すればするほど、周囲の人に対しても「わたしはこんなにがんばっているんだから、お前ももっと頑張れよ!」とか「楽してないで、もっと人に合わせろよ!」みたいに内心感じてしまい、それを強要してしまうんですよね。

 

受け入れよう受け入れようと頑張っているのに、なぜかどんどん苦難や納得できなことばかりが来る、という場合は、だいたいこのループにはまっています(ちなみにこれは、「受け入れる」だけではなくて「許す」とか「感謝する」ということでもとっても起こりがちです)。

 

さて、あなたにも心当たりはないでしょうか?

 

正しく「受け入れる」方法とは

 

では、ここからが本題。

 

では、本当に受け入れるためには、どういう風にしたらよいのかというお話に入っていきましょう。

 

わかりやすいように、ここからは『嫌いだけど、受け入れたいもの』という対象として、「ゴキブリ」を例にとってみたいと思います(ゴキブリが好きな人はすいません。その場合は、どうぞ別なものを入れてみてください)」。

 

ステップ1 まずは、ゴキブリが嫌いだという気持ちを認める

 

はい、まずはですね。

 

「ゴキブリが嫌いだ、気持ち悪い!」という自分の気持ちを一旦肯定することから始めましょう。

 

えっ!好きにならないといけないんじゃないの?!と思うかもしれませんが…真の意味での「受け入れる」というのは「何も否定しない」ということが大前提

 

先述した「ゴキブリを無理矢理好きになろう」的な受け入れ方だと、自分の感情に対して「嫌いなんて感じちゃダメ!」というように、強い否定とジャッジが入ってしまうわけです。これは、受容とは真逆のエネルギーなんですね。

 

過去のブログでもちょくちょく書いてきたと思うのですが、「感情」とは天気のようなもの。外側から来た刺激に対して、自分がどのように心が動くかというのは本来コントロールできないものなのです。

 

そして、これもまた大事なことなのですが、この世には、感じてはいけない感情はありません。たとえば「あいつを殺したい!」と思ったとしても、その感情自体に罪はないのです。

 

浮かんだ感情をどうするかという「行動(つまり、「殺したい」と思った気持ちをどう取り扱うか)」は自分の責任になりますが、「どう感じたか」「どんな感情が浮かんだか」に関しては、自分の対応できる範囲外!

 

感情はあなたの人格とは直接関係しませんので、「ああ、こんな感情が浮かんだんだな」という程度に考えて、嫌だという気持ちをまずは自認しましょう。

 

(注:ちなみに、「ブロックを手放せば、嫌いなものがなくなるのでは」と思われる方もいらっしゃるのですが、そんなことはないようです。好き嫌いというのは「生理的に自分と合うか合わないかを判断している、生存のための機能」でもありますから、基本的になくなるものではないというのが私の考えです)

 

なお、「ゴキブリが嫌い」という気持ちを認めた時に、「ゴキブリが嫌いな自分は嫌だなあ」とか「ゴキブリが好きになりたいのになれない現状がむかつくなあ」みたいな思いが出てきたら、それも自然現象としてただ感じてみましょう。

 

自分の感情は矛盾するように見えてもどれも正解。浮かんだものは別々に肯定しましょう。これも非常に大事なことのひとつです。

 

 

ステップ2 ゴキブリが世界に存在することを許す

 

ステップ1で、ゴキブリに対するネガティブな感情を認めたら、それとは別に「ゴキブリがこの世界に存在する」ということを許可しましょう。

 

「わたしはそれが好きではない」

だけど

「それには価値があり、生きる権利がある」

 

この2つを切り離して捉えるわけです。

 

実際、ゴキブリも存在することで何がしかのメリットをもたらしている部分があるでしょうし、ゴキブリが好きだったり、いないと困ると思っている人もたくさんいます。

それと同様に、受け入れたい対象に対して「私は嫌いだけれど、でも、世の中の役に立っている部分もあるんだろうな、好きな人もいるんだろうな」というように考えるようにしましょう。

 

「自分の好き嫌い」と「相手の価値」…この部分を連動させてしまっているがために、苦しくなっている人も実は結構多いです。

 

具体的に言えば…

「ゴキブリだって他の人の役に立っている、ゴキブリが好きな人がいる→だったらそんなゴキブリを嫌う自分はダメだ!私も好きにならないと!」

だとか

「ゴキブリなんて私は嫌い→世の中から全ていなくしてやりたい!好きだと思う人を説得して、自分の意見に同意させたい!」

…みたいな感じです。

 

 

でも、そこは実はばらばらの指標なわけで、連動させる必要はないんです。

 

あなたが嫌いなものであっても、なにがしかの価値はある。

同時に、あなたが好きだと思っているものにも、価値を感じない人はいる。

 

ということを、そのまま認めてみましょう。

 

 

 

ステップ3 ゴキブリと自分の、適度な距離感を保つ

 

はい、これは地味に盲点ですが、非常に大事です。

 

ステップ2で「ゴキブリはゴキブリで、地球にいてくれてもいいよね~」と思おうとしたとしても…毎日のように自分の家にゴキブリが出たら、とてもそんな風には思えませんよね。毎日イライラしたりして、なんであんなにゴキブリは気持ち悪いんだろう!!みたいに考えてしまうでしょうし、なんとかゴキブリを根絶やしにしたくなってしまうのが人情ではと思います。

 

というわけで、対象を許したいと思ったら、「相手の幸せを適度に願える距離感」を保つ工夫をしましょう。

 

 

苦手なものはなるべく近くに置かない。

苦手なものをあまり苦しく思わないような対応をとる。

 

 

そうなれば、相手を必要以上に憎まなくて済むし、そこに労力をかけずに済むわけです。

 

 

ゴキブリであれば、例えば「ゴキブリが出にくい寒い地域に引っ越す」とか「なるべく自宅を清潔に保つ」「どうしてもの場合は、業者に駆除してもらう」みたいな感じです。

 

特に、「人」について受け入れようとする場合は

・相手と必要以上に合わなくて済むような方法を考える

・会った時にもなるべくストレスが少なくて済むような対策を考える
(例えば、自分以外の誰かにいてもらうとか、短時間で済むようにするとか、相手の言っていることをマジ受けしない心構えを持つなど)

・相手が嫌な部分を発揮しないような工夫をする
(例えば、「愚痴を聞かされる」ことが嫌なら、愚痴になりそうになったらさりげなく話題を変えたり、切り上げたりするなどの対応をとるなど)

という部分について、物理的な方法などを考えてみるといいでしょう。

 

対象が人でない場合は状況によりますが、例えば「今の気に入らない現状」を受け入れようとする場合は、「特にストレスに感じている部分を明確にして、ストレスが緩和されるような工夫をとる」だとか、「こういう状況がふたたび起きないような対策を立てる」ことなどが、挙げられるでしょう。

 

 

不思議なことなのですが…何かを受け入れようと努力する時…

人はなぜか、必要以上に対象にたくさん接触したうえで「それでも大丈夫と言える自分になろう!」としてしまいます。

 

 

が!

 

そんなことしなくていいんです(笑)

わざわざ進んで自分に負荷をかける必要はありませんよ!!

 

なお、余談ですが、この「適度な距離感」というのは、苦手なものに対してに限らず、実は非常に大事です。

というのも「相手のことがどれだけ好きであろうが、頻回に合うと疲れる」みたいなことって起こりうるからです。

ステップ2で、「自分の嫌い」と「相手の価値」を紐づけないでね、という話をしましたが、「自分が好きかどうか」と「どれだけ近しくいるか」ということも紐づける必要はないのです。

「相手のことは好きだけど、近くにいると疲れる」という場合もあるでしょうし、「嫌いだけれど、こうしているときはあまり気にならない」という場合もあると思います。

どうぞ、「自分も相手も尊重できるような距離感」を意図的にコントロールする…という視点があれば、好きな人ともそうでない人とも、もっと快適に付き合えるようになると思いますので、どうぞお試しいただければと思います。

 

 

さて、参考になりましたでしょうか。

 

繰り返しになりますが、受け入れるとは「あらゆるものに対してイエスを言う」ということ。

今回はその方法のひとつとして、あなたが「受け入れたくない」と思っている気持ちにもイエスを言い、対象の価値も認めながら、それぞれ尊重する方法を探す…というステップを、ご紹介させていただきました。

(注:ここで紹介した方法は一つの指標に過ぎません。他にも受け入れる方法はいろいろあると思いますので、自分にとって役に立つ部分だけ活かしてくださいね)

ここでのコツは「コントロールできないものはそのままに」、「コントロールできるものは調節して」という考え方を持つこと。

そうすれば余計な負荷はかけずに済むんですよ~。

 

というわけで、あなたのご参考になれば幸いです。

お一人で難しいという場合は、ぜひぜひマゼンティークに遊びにいらしてください。喜んでお手伝いさせていただきますよ(*^^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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