桃子のつぶやき

「痛み」には、計り知れない価値がある

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こんにちは、神代です!

さて、私は仕事で、お客様のブロックを外したりすることが多い関係上、どうしても、『痛みの記憶』みたいなものに触れる機会が多いのですが…

今回は「痛み」に関して私が個人的に思っていることを、書かせていただきます。

 

人間として生きていると、皆様、いろんな痛みやトラウマをお持ちです。

暴力や攻撃を受けた。思いを踏みにじられた。粗末に扱われた。大事な人に裏切られた。大好きな人に守ってもらえなかった。期待したものがもらえなかった。大事なものを失った。それはもう、本当にいろいろです。

そして、人間は全員こういうものを持っています(もちろん私も)。それもひとりひとりがものすごい量をです。それが当たり前というのは、実はもっと驚いていいことなのかもしれません。

そのような「痛みの記憶」を扱うとき、昔の私はよく、「こういう記憶を消す力があればいいのに」と思っていました。

こんなにもこの人を苦しめ、そしてこの人の信念や、時に人格すら歪めてきたこの記憶がなければ、この人はどんなにか楽になれるだろうと思ったんですね。

だけど今の私は、もうそのように思いません。

なぜかというと、『痛みの記憶』には計り知れない価値があることが理解できるようになったからです。

人は、過去の経験の集合体です。過去の経験とは、言い換えれば、今まで自分が受けてきた『外界からの刺激』と、そして、それに対する『自分の反応』のことです。

膨大な数のそれが、今の自分を構成しているわけですが、今の自分の持つ要素が、何からどのように影響を受けてできたものか、その因果関係を、我々は正確に知るすべを持ちません。

『痛み』は、心にも体にも染み込んでいくもの。すぐには消えないことも多々ありますし、時には、その重さに耐えかねることもあるでしょう。

ですが、その痛みは、あなたの人格にあなたの想定以上の恩恵をもたらしています。

それは、思慮深さの引き出しになっているのかもしれないし、想像力の幅を広げる一端になっているかもしれない。また、ある種の不器用さや気難しさであるかもしれない。あなたの気に入るものでない場合も多々あります。

しかし、あなたの『人間的な奥行きや、形容しがたい魅力』が生まれる土壌は、自分にとって快い刺激だけではけして豊かには育たないのです。

それは「痛い」という理由だけで取り除いてしまうには、あまりにもったいないものであるように、わたしには思えるんですね。

だからこそ、今ではお客様の痛みを、特別なものとして尊重しようと思えるようになりました。

痛みは悪いものでもないし、敵でもない。確かに痛いけれど、すでにそれは、あなたの一部なのです。

我々は、手元にあるものの価値を、把握することが苦手です。停電になって、ようやく電気のありがたみがわかる。恋人と別れてから、どれだけ好きだったのかをようやく思い知る。失わないとよくわからないことがとにかく多い。

あなたが手放したい痛みも、もしかしたらそうなのかもしれません。痛みばかりに目が行って、価値がわからない。だけど、それをなかったことにしてしまうと、今のあなたは、あなたでなくなってしまう。

そして、今のあなたにしかない絶妙なバランスを、愛してくれている人は必ずいるのです。これは生きているうえで、ものすごく特別なことだと思います。

言い方を変えれば、『今の自分を愛すること』は、過去を肯定することでもあり、自分の受けた痛みから価値を引き出すことでもあるのです。

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