日本に生まれ育つとどうしても「人に合わせないといけない」「みんなと同じが一番」というブロックを持ってしまいがちだなあと感じているのですが、中でも
・自分が何か言った時に、相手に反対されたり、問題点を指摘されると過剰に傷つく(否定されたような気がする)
・相手の言動について、相手本人に確認せず、自分で「こう考えたからこういう行動をしたんだろうな」と解釈する
ということはよくあるのではと思います(しかも、無意識に)。
この辺の「言っても仕方ないし、相手の負担かもしれないから、言わないでおこう」「相手の気持ちはこうなんだろう(と本人に確認しない)」というのは一見大人のように見えますが、実はその逆です。こういうことこそが「コミュニケーションの行き違い」の温床になってしまうのですね。
「何が何でも進級しろ」の本当の意味
さて、ここで少し私の例をお話しさせてください。
…私は10代の頃、体調が悪いことが多く、特に高校時代はほとんど学校に行けないような時期がありました。
進級するために必要な出席日数もギリギリで、親が学校に呼ばれたりもしていたのですが、その時に母は私に「何とか必要な日数は頑張って学校に行きなさい」「進級しないと!」とよく言い、なるべく学校に行かせようとしたのです。
当時の私は先のことが考えられる精神状態ではなく、「とにかく休みたい、先に進みたくない、もうイヤだ」という思いが強かったので、これが非常にきつく感じました。また、当時は自尊心が低かったため、「進級できないような娘では恥ずかしいんだろう」「こんなに体が辛いのにまだ自分にムチうって学校に行かないといけないの…(げんなり)」みたいなように解釈していまして、ひそかにトラウマ&ブロックになっていました。
ところが。
それから15年近く経ったある日、母と話していてこの話になったとき、私は衝撃の事実を知ることになります。それは、母が「無理やり進級させよう」と考えていたわけではなく、母が「この子は絶対進級した方がいい、その方がこの子のためになる」と考えて、先生にそれを頼み込んでいた、ということでした。
母が言うには、当時の担任の先生は「勉強についていくため、留年させたほうがいいのでは」という意見だったのですが、母は「今のこの子よりは勉強なんかよりも、せっかくできた友達がいるから、その子たちと一緒に進級させてもらった方が絶対にいい。その方が絶対にこの子の励みになるし、周囲の環境が全く変わるのはかえって負担になるから」という理由で、先生を説得して押し切ってなんとか進級させてもらっていたらしい、とのことでした。
私はこれを聞いて、かなり驚きました。自分が思っていた解釈とはまったく逆で、母は母なりに「一番私のためになる方法」を考えていたのですから。そして同時に「それならそうと、早く言ってくれやー!!」とも思いました(笑)「いいから這ってでも学校行け!」みたいな感じではなく、最初から「私はこっちの方があなたのためになると思うから進級した方がいいと思うんだけどどう思う?」と聞いてくれたら、こんなに長いことしこりにならなかったのに、と(笑)
でもそれって、相手のせいではなくて、私が「相手はこうなんだろうと決めつけて、確認しなかった」というところにも大いに理由があったわけです。
「どうして早く確認しなかったんだろう、そうすればこんなに面倒なことにはなってなかったのにな~」と私は深々と思いました。そして、「相手は意外と想像外のことを考えていることも多いのだな」ということを身に染みて学習した、というわけだったのです。
行き違う前に、話そう
…さて、こういうわけで、「愛情があっても解釈の行き違い」があったり、「価値観の違いにより、どうするのが一番いいかという判断に違いがでる」ということは、非常によくあるのです。
「手放しのワーク」などでも、お客様のブロックのきっかけになったエピソードを探っていくと、「相手に大切にされてないと感じてしこりになっていた→でも実際は相手は相手なりに考えていたり努力していたり、なんらかの事情があった…」ということがほぼ100%です。
そして、自分がそうして傷ついてきたことがあるということは、同様に、「自分が言葉で説明しないばかりに、誤解を生じさせて相手が傷ついていることも十分にあり得る」ということ。
人間なんてみんな考え方も違って当然です。問題はそこにはありません。「わかってくれているだろうと思って説明しない」ことや「違いを認め合う手前で、無意識にあきらめてしまっている」ということが問題なのですね。
だからこそ、「相手が自分と違う意見を持っていても否定されたと思わずに、良く相手の意見を聞き、自分の意見を伝える」ことはとっても大切です。特に、相手が『自分ならこんなことしないのに』という行動をとったり、相手の行動で『傷ついてしまった』と思う時ほど、意図的に本人に相手の意図をきちんと確認した方がいい、と私は思います。また、その際は攻撃的に「傷つきました!」というのではなく、「私だったらこうするなと思ったんだけど、あなたの意見はどういう理由でそうなのか、もっと知りたい」という感じの方がいいでしょう。
本当の「信頼関係」というのは、「こう思っていることにいつか気づいてくれるかも…」というところではなく、「自分も相手も、『駆け引きなく意見を言える環境』を育てていく」ことで生まれていくものでもあるのです。そして、相手が話してくれる環境になるには、まず「自分から襟を開いて話すこと」。これが第一歩になるのですね。
なお、こういう話をすると「でも、上手に伝えられなくてかえってこじれるかも…」と心配される方もいます。でもね、そもそも上手に伝える必要はまったくありません。まずは伝えようとする姿勢を伝えることが大切。それだけで相手に響くものがきっとあるからです。そして心配なことがあるなら「うまく伝えられないかもしれないけど」「こんなこと言ったら傷つけるんじゃないかと思って言えなかったんだけど」という素直な気持ちごと、一緒に伝えてみればいいのですよ~^^
高次の人は『人間は言葉を使うのに、「そこは言わなくてもいいよね」ということを口にし、「本当に口に出した方がいいこと」は言わないでおこうとする傾向がある』と言います。これは本当にその通りなんですよね~(^-^; そういうわけで「言いにくいことほど言った方がいい場合が多い」ということも心にとめていただけるといいかもしれません。
そして、何か思うところがあった方は、ちょっとだけ意識して、話をすることを心掛けてみてください。きっと行動してみることで発見があるはずですよ(*´v`)
「チャネリング練習中」の方へ
さて、チャネリング練習中の方にも、高次の人と話しているときに意識してほしいことがあります。
実は…高次の人と話しているとき、その人が「対人関係で自分が普段とっている癖や傾向」が、わかりやすく出るのです。
高次の人たちの言っていることは、人間と違って物理的に聞こえてこないため、「自分が翻訳する際に、無意識に自分が思っている通りにオーバーに解釈してしまいやすい」のです。例えば、「自分がいつも怒られているように感じる」人は、高次の人の口調も若干高圧的に翻訳したり…というような感じですね。
さて、今回の記事で書いてきたように「気を使って意見を主張しない」「相手の気持ちを確認しない」ことをする癖がついていた場合は、チャネリングしている際にも
「こんなこと高次の人に聞いたら失礼だろうか(→自己判断で聞かない)」
「自分のことを迷惑だと思っているに違いない(→と思って遠慮する)」
「高次の人に言われたことが正直ピンとこなかったが、『ありがとうございます、わかりました』と言って従う」
みたいなことが無意識に起こります。
でもね、チャネリングで本当に聞く必要のあるところはむしろ、ココなのです!
チャネリングの練習の肝は「高次の人の言ってることがわかる」ことでなく、「ブロックをなるべくなくして、負担なくフラットなコミュニケーションが取れるようにする」というところにあるからです。また、ここを鍛えていくことで、自然と人間関係も良くなっていくはずです。
そういうわけで思い当たることがある方はその辺をきちんと高次の人たちと話し合ってください。
上の例でいえば
「こんなこと聞いたら失礼ですか?」
「迷惑ではないですか?迷惑でないと言ってもらっても、実は迷惑になってるのではないかととても気になって仕方ないです」
「今のアドバイス、ありがたいとは思うんだけど、正直よくわかんなくて、どういう意味ですか?」
みたいな感じです。
特に練習の最初のうちや悩みが不安がある時には、「自己判断せずに何でも相談して決める(※高次の人の言うことを鵜呑みにして決めるのではありません。話し合って決める、不安や疑問はなるべく話す、というのが大切です)」という意識を持ちましょう。
ちなみに、チャネリング練習に付き合ってくれる高次の人たちは、質問攻めにされることを織り込み済みで協力してくれていますので、そんなことで怒ったりはしません。また、人間と違って「物理的に余裕がないから対応できない」というようなこともありませんので、とことんまで話し合ってみてください。
きっと、自分のコミュニケーションの仕方について、気付かされることがあると思いますよ^^