「見かねて助ける」の落とし穴

 

あなたは、ついつい「相手が困っているようだから見かねて助けてあげる」ということはありませんか?

何を隠そう私自身、バッチリそういうタイプでした(笑)なので、そのようにふるまってしまうお気持ちは、ものすごーくわかります。

そしてかつての私の場合は「見かねて助ける」くらいならまだいいのですが、
・相手が助けを求めてすらいないのに、先回りして助ける
・自分もいっぱいいっぱいなくせに「全然大丈夫!いつでも相談してね!」風にふるまう
・「誰かのために何かをしなきゃ!」と思うと謎の使命感が沸いて、どんどん動きたくなる
…というような感じで、いつも必要以上に人のためばかりに動いては「なんでこんなに頑張っているのに満たされないんだろう」と心身ともに疲弊していました。でもこれはきっと珍しいことではないのではないかな、とも思います。「あるある!」と感じてくださった方も多いのではないでしょうか。

当時はそれでなぜうまくいかないのかが理解できませんでしたが、今ではその理由がよくわかります。

「人のために見かねて尽くす」というのは一見「相手のために尽くす優しい人」というような感じに見えるかもしれません。でもここには大きな落とし穴があります。それは「見かねて困っている」のは相手でなくあくまで自分自身だということです。

というのも、そもそもどうして「見ていられない」かというと
・人が困っているときに、何もしない自分だと価値がない気がするから
・誰かを助けているときは許されているような気がするから
・人に「いい人」だと思われたいから
・相手が失敗したり困っているところを見るのが辛いから
というような理由がほとんどであると思います。

要するに、相手のためと言っているけど、実は『自分がその状態がイヤだから』というエゴによるのですね。

そのようなエゴで誰かを助けようとしても「結局相手のためにならない」ことが非常に多いです。その理由としては、「相手のことを見ることより、自分の穴を埋めることを無意識に優先してしまっている」ために、相手の求めているものと自分の差し出したいものが食い違ってしまうからなのですね。

そして、エゴによって動いてうまくいかないと「悲しくなったり、裏切られたような思いになったり、怒りや孤独感、落胆を感じたり」…さらに「そんな思いを抱いている自分に罪悪感を感じたり(自分は心が狭いと感じたりなど)」…と、「やってもやっても埋まらないような感じがしたり、理不尽な扱いを受けているような気持になったり」…と、負のスパイラルに落ちてしまいやすいのです。

これに関して、自分自身を振り返って思うことはこんな感じです。

・先回りして助けてあげたり、誰かの助けに過剰になろうとしすぎることは『相手の力を信頼していないこと』と同じ。相手に何か起きた場合はそれに耐えられるだけの器があるということをまずは信じること。

・失敗したり苦しんだりするのが相手にとって必要な経験であることもある。

・助けることが「相手の学びをとってしまったり、成長の邪魔をする」ことも多々あるので、お手伝いをするときは、しない時以上に慎重にするべき。

・「誰かに何かをしたり」「誰かに認めてもらったり感謝をしてもらう」ことでは根本的な部分は埋まらない。自分を満たすには、自分で自分の気持ちを見つめて自分で満たすしかない。

…とはいえ、このことが本当に腑に落ちたのは、自分で自分のことをある程度埋められるようになってからでした(^-^;)

また、今では公私ともに誰かのことをお手伝いするときにはこんなようなことを心掛けるようになりました。

・相手のお手伝いをしたいと思ったときは「本人から求められる」まで待つこと(「自分で手伝いを求める」というのも、大切な相手の学びなのです)。

・助けに応じるのが本当に相手のためになるのか、よく考えてから動くこと。

・自分がどう思われるかよりも、長い目で見て相手のためになると思ったことを優先すること。

この条件を満たしたときだけお手伝いをさせていただくようにすると、不思議なほどにストレスがかからなくなりました。すとんと相手も納得してくれたり、相手も大きな労力なく物事がすっとうまくいくように自然と進んだりすることが多くなりました。また、思うように物事が動かなかったとしても「それはそれで必要なことだ」と自然と受け入れられるようになりました。

さて、「人のために何かする」ときにはまず自分がしっかり満たされていることが必要です。そうでなければ無意識のうちに「これをしてあげる代わりに、あなたも私を満たしてください」というように「見返り」を求めてしまうのですね。

とはいえ自分が枯渇しているうちは「見返りを求めてしまうこと」はごく自然なこと。そのことを責める必要は全くありません。『(枯渇しているのにそれを埋めずに)無償の奉仕をしよう!そうできない自分はなんと心が狭いんだ!』と自分に強いることの方が、ずっとずっと自分を痛めつけることになってしまうのです。もしも「何かを埋めようという理由で誰かに尽くしている」ということに気が付くことがあったら、しばらくは誰かに何かをすることはお休みして、まずは自分を満たして大切にすることから始めてみませんか?

 

また、ちなみにですが…

あらゆる種類の「あの人が心配だ…」「この人は大丈夫だろうか…」「この人から目が離せない、いつも手助けしないといけない状態にあって…」というような悩みに関しては、高次から非常によく降りてくるメッセージがあります。それは、「誰かのことを気にしている場合じゃないよ」「ほかの人のことにかまけていないで、自分のやるべきことをやりなさい」というモノです。

興味深いことなのですが、人は「自分と向き合う」ということに非常に抵抗がある生き物であり、自分と向き合うことをしない理由にするために「周りの人が気になってしょうがない」という環境を潜在的に引き寄せる、ということが非常によくあるのですね。

周囲の人の問題や悩みが尽きないという方は、「自分で自分と向き合う」ことを避けてはいないか、少しだけ考えてみてください。もしかすると、あなたの周りの「助ける必要がある人」は、あなたの「言い訳」の役を引き受けてくれているに過ぎないかもしれませんよ。

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