こんにちは、神代です!
さて、あなたは…、ついつい「相手が困っているようだから見かねて助けてあげる」ということはありませんか?
何を隠そう私自身もバッチリそういうタイプでした(笑)
しかも、かつての私の場合は「見かねて助ける」くらいならまだいいのですが、
・相手が助けを求めてすらいないのに、先回りして助ける
・自分もいっぱいいっぱいなくせに「全然大丈夫!いつでも相談してね!」風にふるまう
・「誰かのために何かをしなきゃ!」と思うと謎の使命感が沸いて、どんどん動きたくなる
…というような感じで、いつも必要以上に人のためばかりに動いていました。
が!
結果はなぜかいつも満足が行くようにはならないことばかり。
いつも自分は満たされず「なんでこんなに頑張っているのに報われないの?」と心身ともに疲弊していました。
でもこういう状況に陥ることは、けして珍しいことではないのではないでしょうか。
というわけで、今回は「わかる!」「あるある!」と感じてくださったあなたに、そして、相談に乗ったりカウンセリングを仕事にしたいと思っているあなたにも読んで欲しい、「境界線を損なわずに、互いに気持ちよく、誰かを助ける」ことに関する記事です。
それって相手のためでなく、本当は自分のためじゃない?
さて、当時の私にはなぜうまくいかないのかが理解できませんでしたが、今となっては、その理由がよくわかります。
「人のために見かねて尽くす」というのは一見「相手のために尽くす優しい人」というような感じに見えるもの。でもここには大きな落とし穴があります。
それは見かねて「困っている」のは相手でなくあくまで自分自身だということ!
というのも、そもそもどうして「見ていられない」かというと
・人が困っているときに、何もしない自分だと価値がない気がするから
・誰かを助けているときは許されているような気がするから
・人に「いい人」だと思われたいから
・相手が失敗したり困っているところを見るのが辛いから
というような理由がほとんどであると思います。
要するに、相手のためと言っているけど、実は『自分がその状態がイヤだから』というエゴによるのですね。
エゴで相手を助けても、上手くいかない理由
そのようなエゴで誰かを助けようとしても「結局相手のためにならない」ことが非常に多いです。
その理由としては、「相手のためになることより、自分の穴を埋めることを優先してしまう」ために、相手の求めているものと自分の差し出したいものが食い違ってしまうから。
そして、何かをすると無意識のうちに「これをしてあげる代わりに、あなたも私を満たしてください」というように「見返り」を求めてしまうのですね。
エネルギーの世界は放ったエネルギーが戻ってくるようになっていますから…食い違いがある状態で動いてしまうと、やはりその結果も「食い違い」になってしまいます。
そんな風にして助けてしまうと、「うまくいった!」「丸く収まった」ということはまれで…
「助けられた方も、問題が根本的に解決せず、同じことの繰り返しになるし、なんとなくすっきりしない」
「助けた方も、助けた人から納得のいかない態度をとられるなどいうことが起こり、報われない思いになる」
…と、負のスパイラルに落ちてしまいやすいのです。
というわけで、手を出す前に、
「相手のためより自分を優先していないか?」
ということは自問してみるといいですね!
相手のことを「下」に見ていないか?
さて、「助けたい」と思った時、実はもう一つ自問して欲しいことがあります。
それは
「相手のことを下に見ていないか?」
ということ。
というのも…
実は「助けようとし過ぎる」とは『相手が一人で出来ない』と決めつけたり、『相手が助けて”あげなきゃいけない”可哀想な人』と内心ジャッジしているということが、よくあるんですね。
でも、ちょっと考えて見てください。
あなただったら、人から助けられるときに、「この人は出来ない人だから、やってあげなくちゃ」「この人は可哀想だから、観ていられない」と思いながら…助けられたいですか?(笑)
私はイヤです(笑)
これって「相手の能力を信頼していない」「相手を無力(自分より下)と思っている」ということでもあるんです。
人間とは敏感なもの。そういう思いがあると、潜在的に相手にもちゃんと伝わります。相手は「”下”に見られている」と察知するので…その結果『助けたあなたに対して、反発したり、感謝心が湧かない』みたいなことが起こるのですね。
人を助けたいときには、こんなことに気を付けよう
さて、ということで上の二つを踏まえた上で。誰かのことをお手伝いするときにはこんなようなことを考えるといいと思います。
・失敗したり苦しんだりするのも相手にとっては大事な経験。助けることが「相手の学びを奪う」可能性があることを心がけ、手を出すときは最小限に。
・先回りして助けるのではなく「私はあなたのために助けになりたいのだけど、私にできること、してほしいことはある?」と相手に指示を求めると、相手の主体性を損なわないで助けることが出来やすい。
・自分がどう思われるかよりも、「長い目」で見て相手のためになると思ったことを優先する。
・「助ける」は、「自分がしたいからやっているだけ」と自覚し、それを相手がどう受け取ろうが自由という考え方で。
私自身、この考えで人を助けるようにすると、不思議なほどにストレスがかからなくなりました。
すとんと相手も納得してくれたり、物事がすっとうまくいくように自然と進んだりすることが多くなりましたし、思うように物事が動かなかったとしても「それはそれで必要なことだ」と自然と受け入れられるようになりました。
見返りを求めてしまう自分に気づいたら
さて、このブログを読んで「私は人助けに見せかけて、見返りを求めていた!」と気づいた方もいるかもしれません。
ですが、その場合も自分を責めないでください。
というのも、自分が枯渇しているうちは「見返りを求めてしまうこと」はごく自然な人間の本能なんです。
枯渇しているのにそれを埋めずに『無償の奉仕をしよう!そうできない自分は心が狭い!』と自分に強いることの方が、ずっとずっと自分を痛めつけることになってしまうのです。
「誰かに何かをしたり」「誰かに認めてもらったり感謝をしてもらう」ことでは根本的な部分は埋まりません。自分を満たすには、自分で自分の気持ちを見つめて自分で満たすしかないんですね。
というわけで、「何かを埋めようという理由で誰かに尽くしている」ということに気が付いたあなたは、しばらく誰かに何かをすることはお休みして、まずは自分を満たして大切にすることから始めてみてください。
周囲に「助けないといけない感じの人」が多いあなたは
また、ちなみにですが…
あらゆる種類の「あの人が心配だ…」「この人は大丈夫だろうか…」「この人から目が離せない、いつも手助けしないといけない状態にあって…」というような悩みに関しては、高次から非常によく降りてくるメッセージがあります。
それは、「誰かのことを気にしている場合じゃないよ」「ほかの人のことにかまけていないで、自分のやるべきことをやりなさい」というモノです(笑)
興味深いことなのですが、人は「自分と向き合う」ということに非常に抵抗がある生き物であり、自分と向き合うことをしない理由にするために「周りの人が気になってしょうがない」という環境を潜在的に引き寄せる、ということが非常によくあるのですね。
周囲の人の問題や悩みが尽きないという方は、「自分で自分と向き合う」ことを避けてはいないか、少しだけ考えてみてください。もしかすると、あなたの周りの「助ける必要がある人」は、あなたの「言い訳」の役を引き受けてくれているに過ぎないかもしれませんよ。
*
さて、というわけで、マゼンティークでは「助ける/助けられるに関する適切な境界線」に関するレクチャーや「周囲の人に問題が尽きない」あなたのブロックの手放しのお手伝いもしております。
ピンと来たときにはぜひ、遊びにいらしてくださいね!
マゼンティークは必要なあなたのお越しを、お待ちしております!