私とスピリチュアル②~スピとの歩みを振り返る~

こんにちは、神代です(*^^*)

さて、今回は前回に続き、私のスピリチュアル的な歩みをお話させていただきます。

今回は、大学時代のお話からどうぞ!

 

前回はこちら:私とスピリチュアル①~スピとの歩みを振り返る~

 

望むものを手に入れても満足できなかった大学時代

さて、その後私は大学に進学して公務員になりました。高校時代の体調不良もそこそこ収まってきて普通に通学できるようになると、私のもっぱらの目標は「普通の女の子みたいに学生生活をエンジョイするぞ!」となりました。

この「普通」というのは私の人生にとっては大事なキーワードなのですが、実は進学先も就職先も親の勧めに従ってのことした。「親の言う通りにして、普通に周りの人と馴染んで好かれて、しっかり社会人としてやっているように見える人」みたいなのが、当時、私の中での「至高」で憧れだったんですね。

大学に入ってからはお酒も飲めるようになり、外泊もできるようになり、本格的に付き合った彼氏もできたりして、私はとっても満足でした。「普通の可愛い女子大生」みたいになれたような気がしたんですね。

だけどそれも長くは続きませんでした。その時は満足するんですけど、直ぐに違和感やむなしさが出てくるんですね。やっぱり人と話していてもなんだか楽しくなかったり、トラブルが起きたりする。お酒を飲んで騒いでもむなしくて帰りたい。彼氏といてもなんだか彼氏に大事にしてもらえない。

でも、それをどうしていいかわからないので、気持ちを殺して、楽しい振りをして、困ったことがあっても表に出さないようにして過ごしていました。その中で無理を続けるうちに、あんのじょうまた、私は体調を崩し始め、大学で過呼吸になったり、学校にあまり通えなくなったりして行きました。

ちなみにですが、その時の私は「やっぱり普通の人にはなれないのか」と挫折感を味わうことになりますが、これは今の自分から見ると「霊感とか普通かどうかは関係ない」んです。単に「自己肯定感が低いから」なんですね。

『結局、そこを正しく取り扱えるようにならないと、物理的に何を手に入れても入れなくても、手ごろな何かのせいにして、いつも不足感を味わうことになる』というのは、この時期を経験しないと今でも理解ができなかったと思うので、本当に貴重な財産でした。

 

普通になれなかった公務員時代

さて、そんな中でも大学を何とか卒業し、そこで心理学も学んだ私は(こんなだけど勉強はちゃんとしていました)、人の相談に乗る仕事をしたいと思うようになります。

公務員にも、『人の相談に乗る仕事が中心になる業種』があったため、試験を受けて採用されることになりました。

それから約10年間、私は公務員として働くことになりますが、ここでの仕事はまさに「ブロックが自分の人生を作り上げている」ことを体で体感するようなことばかり。

もちろん楽しい思い出もあるのですが、公務員自体にあったのは主に

「頑張れば頑張るほどうまくいかない」
「人に合わせているつもりなのに、攻撃される」
「誰が悪いわけでなくても、なぜか自分がひどい目に合う」
「どんなに尽くしても報われず、理解もしてもらえない(ように見える)」

みたいなイベントです。

この辺は話せば長くなるので今回は割愛しますが、そんな中で私はまたも体調を崩し、休職をすることになります。

休職している10カ月の期間で、出会ったのが「内観(自分と向き合う・ブロックを外す)」という技術で、私は面白いようにそれにハマリこみ、鬼のようにブロックを外しました。

そして「自分がいかに自分の人生を人任せにして生きてきたか」ということを理解しました。

(ちなみに、その辺のことはこちらのブログに書いてあります)

そのうち、「自分の人生を人任せにすると結局満足感は得られない」ということに思い至り、好きなことをやろうと決意します。

その時に出てきたのが「スピリチュアルを仕事にしたい」だったのでした。

 

これが意識に上った時、私は本当に震えました。

長いこと思っていた「普通の人みたいに生きなきゃいけないって親が言うから、霊能者にはならない」というのは、単に親に責任を転嫁していただけで、本当は親のせいにして自分が好きなことをチャレンジすることから逃げていただけだったんですね。

好きなことをやるというのはこんなに恐ろしいものなのか、と私は思いました。てっきり自分らしく生きるとか、好きなことをやるって楽しいものだと思っていたんです(笑)

その恐ろしさに身震いした時に『ああ、私は『自分を生きる』よりも、いつも人のトラブルに巻き込まれて、ひどい目に合って、モヤモヤを繰り返しているほうがずっと楽だと思ってたんだな』ということを深く実感したのを今でもよく覚えています。

 

公務員として安定した生活をみすみす捨てていいのか?

霊能者として食べていける保証もない。

みんなが離れていくかもしれない。

世間から変な人として見られるかもしれない。

親からも失望されたり怒られたりするに違いない。

 

まあ、色んな恐怖がありましたが、もしかしたら一番怖かったのは

「自分の霊感は実は仕事にしてみたらものすごくレベルの低いものなんじゃないだろうか?」

という思いだったような気がします。

 

今思うと、自分にとって「スピリチュアルは自分そのもの」。

付き合うのが大変で、面倒くさくて、でも自分のアイデンティティで、なんだかんだ言って結局好きで、絶対に離れられない。

それは私の人生を通した「スピリチュアル像」であり、「自分像」ともそのまま一致するんですね。

だから、それを言い訳なしで全力でやってももし通用しなかったら。

…そんな風に思うととにかく恐ろしかったのを覚えています。

そして、自分にとってそれだけ大事なものなのだということもその時に気が付きました。

 

それからしばしの間「怖いよ、やりたくないよ」が随分出てきました。だけどこれはたぶん何年も私が抑えつけて溜めてきた心の声なんですね。

けっこう根強いものでしたが、なるべく抑えつけず、地道に消化しながら過ごしていきました(※内観のコンテンツでも繰り返し話していますが、ネガティブな感情はしっかり感じ切ると成仏してくれるのです。詳しくはこちら)。

そういうわけで、私は行ったり来たりしながら、少しずつ自分の「やりたい」に目を向け、スピリチュアルを仕事にする道へ進んでいくようになっていったのでした。

 

一からスピリチュアルを鍛えなおした開業前

さて、そういうわけで私はしばらく封印していた霊感(公務員時代にはほぼ使っていませんでした)をもう一度鍛えなおすことにしました。

この時に気が付いたのですが、ごく幼少期を除いて、私が霊感を使うのは「人の相談に乗るときだけ」でした。自分のためにガイドスピリットと話したり、雑談したりするのは、そもそも発想にないというか、思ってもみないことだったんですね。

恐る恐る話しかけてみると、やはり、彼らは会話をしない間もずうっとそこにいたようでした。

それからはとにかくたくさん時間をかけて彼らと話をしました。ひたすらエネルギーを送りあい、手伝ってもらってブロックを外したり、ヒーリングの練習をしたり、ということをずうっとしていました。手探りで練習するような何とも言えない感覚でしたが、これで間違っていなさそうだというぼんやりした感覚は徐々に強くなっていきました。

ガイドに色々質問したり教えてもらいながらやるのですが、それもなかなか大変でした。彼らは人間ではないので何を言っているのか明瞭にわからないこともあるし、人間に教わるほどはっきりしたメソッドがあるわけでもないし、こちらの感覚もわからないんですね。それでもわからないなりに練習していくと色々と勘所がつかめてきました。

そのうちに、スピリチュアルができる友達もできて、その後は楽しみながら時間を忘れて、とにかく数をこなしたなあという覚えがあります。その頃に習得したことは今でも私個人の礎であり、提供するもののベースになっているなあと思います。

ちなみにこの時期、スキル的なブラッシュアップをして行けたのはもちろんですが、この時身に着けた中でいちばん重要だなと思うのは「適切なオンオフの方法」でした。

霊感と言うのは結局アンテナのようなものなので、「欲しいものは拾って、そうでないものは拾わない」ためのスキルが非常に大事になってくるわけです。拾う技術だけ磨くと、不要なものやネガティブなものもどんどん入ってきてしまう。なので私はここにかなり力を入れてトレーニングしました。それも思えば「欲しくないものを拾い続けた期間があった」自分だからこそ、そこにフォーカスすることができたのかもしれません。

なお、これまでもコントロールに困り、色んな霊能者のところに相談に行ったりしたことはあったのですが、こういう具体的な霊感の鍛え方とか、自分の気質を含めてどう扱ったらいいのかということはほとんど聞けなかったんですよね。

この時期あれこれ試行錯誤することで「結局自分自身でこれを編み出したくて、こういう巡り会わせにしていたんだな」ということも深く理解できましたし、霊能者に対して「気休めや言葉かけ」ではなく「具体的に役に立つことや必要な情報を」提供できるようになりたいと思うようになったのは、この経験があったからだと思っています。

ガイドとの関係もこの時期から随分変わりました。

それまでは「聖なるもので、気軽に呼び出してはいけない」「人の役に立てるときしか使ってはいけない」と考えていましたが、関わり合いが増えて親密になると『立場が違うだけで結局目的は同じ仲間なんだな』という感覚になりました。

また、高次の存在も万能ではないことや、様々な制約があることもわかりました。彼らには彼らの大変さがあるんですね。そんな中でともに色んなことをしていくうちに、最初はよく理解できなかった彼らの思いや愛情の深さなんかも知ることができるようになっていきました。

また、私はガイドに対する反抗期なんかも体験させてもらえたために(※親には全力で出来なかったやつです)、世の中全体への安心感や自分の自尊心を土台から底上げしてもらった感覚もあります。

スピリチュアルと適切に付き合って、自分の土台をしっかり鍛えて、人生を楽しめるようになること。

こうして振り返ってみると、開業までに自分に起きたイベントと言うのはみんな今の自分につながっているなあとしみじみ感じます。

さて、こういった経緯で、私はスピリチュアルサロンを開くことになったわけですが…

私はいろんな経験と試行錯誤と失敗を経て、自分なりの付き合い方を体得していくと、スピリチュアルを扱うことも自分が自分でいられることも、どんどん楽しくなるようになりました。

だからこそ、クライアントさんに対しても思うんですね。

 

繊細過ぎて疲れるとか、

霊感やスピリチュアルのせいで人生が大変になるとか

自分のことが好きになれないとか

そんな悩みがある方も多いと思います。

だけどそういう状況にある方こそ、いまはまだ「自分の扱い方」を身に着けている最中。

扱い方を心得ることができれば、ちゃんと、スピリチュアルのことも、自分のことも、喜びを持って扱えるようになるんです!

今上手くいかないことがある方も、どうぞ心配しないでください。

あなたはまだ途中なだけ!!

 

 

…というわけで、その楽しみや喜びをぜひ知ってもらいたい、と言うのが私の仕事の原動力のひとつでもあるんですね。

 

開業して5年。

わたしもまだまだ扱い方を身に着けている途中なんだなあと思うことが多いです。まだまだ知らないことも多いなあと感じています。

自分のやってきたことがどういう意味を持つのか、そしてそれを提供することでどんなことが生まれていくのか、わたしにもわかりませんが…時に失敗したり、変化や道行きを楽しみながら、今まで通り、試行錯誤していきたいなあと思う今日この頃なのでした(*^^*)

さてさて、マゼンティークではスピリチュアルのセッションの他、スピリチュアルを身に着ける講座なども行っております!気になった方はぜひ遊びにいらしてくださいね。

必要なあなたのお越しをいつでもお待ちしております(^^♪

 

 

 

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