お金の迷子になった私の話~お金の引き寄せと失敗談~

こんにちは、神代です!

 

先日、お金にまつわるイベントか記事を書こうと思っているということをお知らせしましたが…

 

「何で今、私がそういうイベントをやりたいと思ったのか」ということを、個人的な体験からお話したいなあ、と思ってブログを書くことにいたしました。

 

 

さて、話はさかのぼること3年ほど前。

 

今だから書けることなのですが、当時の私は『客足がパタッと途絶え、しばらくの間「仕事で全然稼げなくなる」』という体験をしました(笑)

 

それまでの私は結構ガンガン“稼いで”いまして、お金にまつわる引き寄せなんかもかなり得意としていた(と自分では思っていた)ので、その体験は自分にとってはショックでした。

その時期は私にとっては大変苦しい期間でもあったのですが、時間をかけて自分なりにその期間を消化した今、わたしはかつてとは違うお金の価値観を手に入れたような気がしています。

 

というわけで、

今は、自分にとっても「新しいお金に対する価値観」を考えるいいタイミングに来ているんじゃないかそして、イベントや記事を書いても、これまでとは違う角度で「本質的な」お話ができるようになったんじゃないかなあ、と思ったんですね。

 

というわけで、ちょっと長くなりますが、今回はその前後の話をしたいと思います。

ぜひぜひお付き合いくださいね(*^^*)

 

「お金を稼ごう」と思った発端

さてさて、“稼げなくなった”事件の話をする前に、“稼ごうと思うようになった時期”から紐解いていきたいと思います。

 

4~5年ほど前のことだと思うのですが…

当時の私は、一言でいうと、仙人のような生活をしていました(笑)

 

子どもが小さいこともあり、仕事以外はずっとお家で子供と過ごし…

たまーに数少ない友達と会う以外、社会とは隔絶された生活をし…

ブログでは発信したいことを発信し…

不思議とお客さんには困らず、セッションに会いに来てくれる人だけ会い、そのクライアントさんと濃密な時間を過ごし、お互いに満足して必要なお金を頂いて生活する…

そんな感じです。

 

私はその生活に当時非常に満足していて、それ以上特に望むものはありませんでした。

するとある日のこと。

突然、『私は自分のことしか考えていなかった!もっと社会のために、何かじぶんはしなければならない!』と思う瞬間が来たんです。

 

今思うと、多分「個人としての自分一人分の幸せ」が満ち足りたというか、おそらくコップの水が溢れた瞬間だったのだと思います。

自分一人の幸せとしては十分満足した。味わいつくした。だからここからは、もっと大きなもののために動かなければいけない。

当時の詳しい気持ちはもう忘れてしまいましたが、そんな感覚に突き動かされていたような気がします。

 

で、当時の私が「社会のために何かする」ということを考えた時に、思いついたのが『スピリチュアルの協会を立ち上げる』ということでした。

 

詳しくは割愛しますが、要は、「これから世の中はもっとスピリチュアルが必要になる、スピリチュアルができる人を教育し、必要とする人の受け皿を作り、世の中のためにやっていきたい」という、当時の自分としてはベストだと思えるやり方を思いついたわけです。

(注:意図したわけではないですが、先日アップした『普通のスピリチュアル』とけっこうリンクした内容になっています。また、当時のスピリチュアル協会に関する内容が詳しく読みたい人は、こちらから当時のブログを見てみてくださいね)。

 

で、その時の私は非常に燃えていたわけですが、その時に同時に思ったのが、

『もっとしっかりお金を稼がなければ、大きな活動はできない』

ということでした。

 

当時の私は「個人事業としてはそこそこ収入を得ていた方」ではあったと思うのですが、「協会」とか「社会事業」みたいなことになると…

『何千万とか何億とかの、本当に途方もない額を動かせるような自分にならなければならない』と思ったんですね。

 

そして、こうも思いました。

 

「今までの自分は、本当はもっとお金が欲しかったのに、遠慮していたのかもしれない」

「理由を付けて、本当はもっと“稼げる”のに、受け取り拒否をしてきたのかもしれない」

 

ということで私はそのタイミングから

『お金のブロックを外し、ビジネスとしてガンガン稼げるようになる』

ということを一つの目標とし始めたのでした。

 

 

猛勉強の結果、”稼げる”ようになったけど

 

行動の速い私は、「ビジネスのことは全然わからないから、まずは勉強しよう!」と思い、そこから大量のビジネスに関する本を読み、そして、いわゆる「ビジネスのことを教えてくれる、高額なコンサルティング」みたいものを受けました。

ビジネスのことを学ぶのは、面白かったです。こうしたら伝わるとか、こういう風にすれば自分もお客さんも幸せにたくさん稼げるとか、こうしたら頑張らなくても集客できる、とか。

なるほどなあ、と思うものも多かったし、「これはビジネス以外にも応用できるなあ」と思うことも多く、非常に社会勉強にもなりました。

そして、それまでの自分が『いかに無策で、なんとなくやってきたか』ということにも気が付かされました。

私は「お客さんにとって効果のあること」とか「エネルギーをよくすること」に対しては非常にこだわりがありましたが、この「ビジネス的な視点(収益を得るとか、効率よく人に情報を届けるとか、経済を循環させるとか)」はほとんど皆無だったのです。

公務員の経験しかないため、そもそも「どうしたら収益が上がるか」「買ってもらえるか」みたいな感覚がなかったんですよね。これでお客さんがちゃんと来てくれていたのは奇跡だとしか思えませんでした(笑)お客さんへの感謝も改めて湧きました。

そして、ビジネスと同時にお金の勉強も始めました。

いわゆる「幸せなお金持ち」になるための本とか動画とか講座とかをたくさん受けてみました。中には怪しいものもあれば、なるほどと膝を打つものもあり、「これはこの人が特殊だからできることだよな」というのもあれば、「確かにこれはエネルギー的に理にかなっているな」と思えるものもありました。

ビジネスとお金に関して猛勉強をするなかで、私の中で『多分こうしたら、お金がどんどん入ってきてうまくいくんじゃないか』という黄金律が出来上がりました。これはこんな感じです。

 

・自分を安売りしない

・自分や人が喜ぶことにはガンガンお金を使っていい

・学びや無形の体験には惜しみなくお金を使っていい

・自分に対して謙遜したり過小評価をしない

・なるべく質のいいエネルギーをまとって、それを周りにふりまく

・欲しかったら手放す、してほしいことは自分からやる

 

というわけで、こんなルールに従って、勇気を出してガンガンを金を使うようになりました。

すると、やればやるほどグングンお金の巡りが良くなっていく。

お金というのはハッキリ数字として目に見えるもの。それはまるでスコアを競うゲームのようで面白かったです。

 

 

そのうちに私は「お金」の持つ特殊な力について、体感的に理解できるようになりました。

 

それは

『お金そのものにはエネルギーがない。既にあるエネルギーを加速させる補助輪である』 

ということ。

 

例えば「学びたい」と思った時に1万円払うのと、10万円払うのでは、同じ内容を学んでも身につくレベルが全く違うのですね。

スピリチュアル的に解説しなくても「10万円も払ったんだからしっかり元をとらなくちゃ!」とガチで勉強するであろう、ということは何となくご理解いただけると思いますが、これはエネルギーの観点から言うと『学びたい』という気持ちが同じでも、1万円のときより、10万円のほうが増幅されるということ。

 

それに気づいた私が思ったのは

『お金ってたくさん払えば、楽にたくさんの効果が得られる装置ってことじゃん!これは使わない手はない!』

ということでした。

 

そういうわけで私はセッション代金も高額にしました。そのほうがセッションの効果が高まって、結果的に払った以上の効果を得ていただけると思ったからです。そして、勇気を出してお金を払っていただけるような「土台」のある方だけを対象としようと思ったのです。

 

また、自分自身の生活でも、必要で買わなければいけないものは、なるべく高額のものにしました。そのほうが、効率よく、自分にいいエネルギーもまとえるし、品質も確実にいいし、よりいいエネルギーが世の中に循環させられると思ったからです。

 

そして、セッションを高額にするからには、「ちゃんとそれにふさわしい雰囲気をまとわなければいけない」と思い、ドレスを着てシャンパン(※ただし授乳中なので、ノンアルコールの(笑))を飲みながらセッションをしていました。

 

そんなに好きではなかったSNSも頑張りました。あれこれ学んだことに倣って「高級感」を打ち出してみたり「こうしたら稼げるよ」みたいな情報も発信してみたりしてました(これは今思うと、正直ちょっと恥ずかしいです)。

 

さて、そうこうしているうちに月に7桁以上を稼げるようになりました。お金の流れが良くなるとはエネルギーの流れもよくなることでもあります。

その期間中、私は自分の感覚がぐんぐんと研ぎ澄まされていくのを感じていました。また、当時の私は、他にも並行して性格診断の開発や、自分の奥深くに潜る内観のスクールもバリバリに集中してやっていたこともあり、言ってみれば、常時精神統一の修業をしているみたいな感じでもあったので、もう冴えわたりに冴えわたっていました。

そんな状態の私でしたので、当時のセッションはもう、脳外科手術みたいな感じでした。というか実際に、当時はお客さんの脳の毛細血管の一本一本が視えるくらいでした(笑)

ものすごい細かい部分にメスを入れて切り込むような、高度な技術を駆使して難しいギリギリのところを切除する様な、そういう非常に張り詰めた感じのセッションをしていました。

来てくださったお客さんはみんな、ものすごくびっくりしたり感動したりしてくれましたし、私も達成感が半端なく、毎日が非常にエキサイティングではありました。今思うと、あれはあれで、あの時期しかできない特別な技術だったし、楽しかったなあと思います。

 

が…!

 

ここまで書いていてしみじみ思うのですが…

 

人間って「上限なくどんどん成長し続ける」とか「極限の集中状態」がそんなに続くわけはないんですよね(笑)

 

そういうわけで私はそのうち、バランスを崩すことになるわけです。

 

ある日突然、スランプになる

 

そうしているうちに、ある日突然、お客さんがパタッと来てくれなくなる、ということが起きました。

 

何が発端だったかは正確に覚えていないのですが…

 

お客様とする人の対象を変えようとして上手くいかなかったのがきっかけだったようにも思うし、あるいは私生活でショックなことがあって仕事が手につかなくなったのがきっかけだったようにも思うし、そもそもセッション代が高額なので客足が途絶えて当たり前だったのかもしれない、ということもあるかもしれませんが…

 

とにかく突然、セッションのお申し込みが全然来なくなりました(笑)

 

私は最初のうちは「ちょっとブロックを外したら“元に戻る”だろう」「今だけ調子が悪いから、やりたいことが見つかったらまた回りだすだろう」と高をくくっていましたが、

 

それが半年、1年とたつにつれ…

 

「あれ?あれ?もしかしてこれは…

本格的にやばいのでは??」

 

と思うようになりました。

 

その時の心の焦りと言ったら、筆舌に尽くしがたいものがありました。

 

というのも私はそれまでさんざん、クライアントさんやスクールの教え子にも「ちゃんとやってたら、必ず稼げる」(なんなら「稼げないのは、何かが間違っているからだ」くらいの話をしていた)手前もあるし、セッションのことやビジネスのことを教えますということも看板に出している。

 

それは当時の私にとってはかなりプライドが傷つく恥ずかしい出来事でもありました。

 

当時、死ぬほど「自分見つめ」をした末に、「もうほとんど一般の人が持っているようなブロックは私はないんじゃないかしら」くらいに思っていたのに…

 

その時の私は

「私は仕事スゴイできますよと言っておいて、今は仕事をする機会すら持てない」
「お金が入ってこなくて苦しい」
「自分の状況を人に見られたらとおもうと、恥ずかしい」
という、ブロックの超基本3点セットみたいな苦しみを持っていまして。

 

それも「今まで内観してきたのは何だったんや…」と、私を結構打ちのめしました。

 

何がいけないのだろう?

どこで何を間違ったのだろう?

 

そんな風に考えました。

 

そして、中でも私が一番辛かったのが

 

私は「お客さんのためになることを」と思っていたつもりだったけれど、実際にはお金儲けのために仕事をしていたのだろうか?

心の奥底では、お客さんを「お金を運んでくる存在」としか見ていなかったのだろうか?

 

という疑念でした。

 

これは私がよくクライアントさんに言うことでもあるのですが

『一番の苦しみは、自分の愛を疑う時』

なんですよね。

 

人に傷つけられた、人にわかってもらえないということでは、人はそこまで実は深くは傷つかないのです。

 

本当に苦しいのは…

 

傷つけられた、わかってもらえない、嫌な思いをした

 ↓ということは…

自分は相手を愛していなかったんじゃないか、自分がいけなかったんじゃないか

 

という風に「自分に」生まれる疑念なんです。

 

 

今思えば、この時期の私にとっての一番のテーマは

「それまで信じていた『自分』を深く疑ってしまったということ」。

 

もっと言えば

「今まで自分のことを信じられていたのはたまたま『結果』が出ていたからで、現実が厳しいものになったら信じられない程度しか、自分への信頼感がなかったことが付きつけられた」

 

というところにあったのかもしれません。

 

そして、私が得たものは

さて、この苦しい時期は結構長いこと続きまして、その間本当にいろんなことを試したり、勉強したり、開き直ったり、何かに気づいて考え方が変わったり…みたいなことがたくさんありました。

 

その学びや気づきは一言でこうですとは言えないのですが…その中での私にとっての有益な気づきをいくつかシェアしたいなあと思います。

 

まず。

そのような現実にさらされるうち、だんだん私は無用なプライドがなくなっていくのを感じました。

 

最初は、「稼げなくて恥ずかしい」「頑張っているのに結果が出ない自分が嫌」みたいな感じでしたが、だんだん図太くなっていき(笑)

 

「頑張っていて結果が出ないことの何が恥ずかしいんだ。堂々としてりゃええんや」

 

みたいな気持ちになっていきました。

 

そうなんです。必要と思うことを精一杯やってるんだから、(それが仮に検討違いの努力だったとしても)別になんら恥ずかしくないんですよね。

 

あとは、お金に関する価値観に関してもあれこれ見直す機会になりました。

 

前述の私なりの「黄金律」。

 

あれも本質的にはそんなに間違っていないように思うのですが、どこでどうボタンを掛け違えてしまったのかという一つの原因が…

多分「こうすれば、もっと入ってくるはず、もっと成長できるはず」という下心のほうが強くなり、そういう行動を自分に強制するようになった(例えば、別に高いものが欲しいと思っていないのに「この方が、お金の巡りが良くなるから、こっちにしなさい!」と自分に強いる)という部分があったのかなと思うんですね。

 

結局は、お金に限らずですが、「こうしたらうまくいく、という絶対の法則」はなくて、「その場その場で自分の声を聴いて、ベストだと思う選択をする」ということ、これに尽きるのかなあと今は思っています。

 

そしてもう一つ。

振り返ると、お金に対する不安に追いかけられてはいましたが、実際問題、本当に「支払うお金がない」「食うに困る」みたいな体験はしていなくて

結局は「自分の中の潜在的な不安(「足りなくなるのではないか」「もっと努力して増やさなければいけない」)が、増幅されて見えていただけ」のような気がしたのですよね。

 

そもそも、私がビジネスやお金のことを学んでどんどんそれが一極集中していったのは、もしかするとこの「自分は成長し続けないといけない」「いつか足りなくなると困るから、早めに先に進んで確保しておきたい」みたいな恐れが含まれていたからなのかもしれないなあとも思うんです。

 

 

また。

「お金」に関しても、経済的に困っている状況であれこれお金を使う中であれこれ気づきがありました。

 

・安くてもいいものもあるし、高くてもあまり品質が良くないものもある

・お金はあればあるに越したことはないけれど、なければないでなんとかなる

・お金がないと思っていても、払ってしまえば意外と何とかなる

・むやみに切り詰めると、結局不要なところで同じくらいのお金が出ていくので、切り詰めるとかえってよくない

・お金があってもなくても幸せでいられるようにならなければ、お金とは楽しく付き合えない

 

一部を紹介するとこんな感じです。

こうやって見ると当たり前のことばかりなんですけれども、身をもって知ることで非常に重みのある学びばかりになりました。

 

そして今、“稼ぐ”ことは気にせず仕事をするように

 

まあ、そんなこんなで3年くらいたちまして、今私が仕事とお金に関してどういう価値観を持っているかというと

 

・収益のことはあまり意識しない(価格設定なども感覚的に浮かんだ額にする)

・「お金」という形にこだわらなくても、豊かさを交換し合えていればいい

・お金はあったほうが嬉しいけど、それの有無に振り回されるつもりはない

 

みたいな感じでしょうか。

 

“稼ぐ”とか“ビジネス”みたいな言葉も、あんまり今はしっくりこなくなったので使っていません。

3年くらい前は「やるからには、しっかり収益を得る(ただし、相手も自分も幸せにしながら)」「収益を出す道筋をしっかり整えるのが、お客様のためにもなる」みたいな風に考えていたのですが、今の自分が感じているのは「私はビジネスやお金を上に掲げて仕事をしないほうがのびのびできるタイプっぽい」ということ。

なので、今は「よくわからなくても心の声に従っていれば、まあ必要なことは必要な時期に起こるだろう」というゆるい一択になりました。

スピリチュアル協会を作るとか社会貢献をする、という場合も、必要なお金はちゃんとその時に集まる(あるいは、集める手段と共に道が開ける)だろうと今は思っています。

 

あと、私の性質として「あれこれ作為しすぎないほうがいい(自分の計画が緻密に組みたくなってしまい、高次のエネルギーが入る余白がなくなってしまう)」というのもひとつの学びでした。

 

 

今思うと、「収益」や「社会貢献度」みたいなところにこだわっていたのも、「自分がやっていることに対する手ごたえ(正しいことができているかどうか、人の役に立っているかどうか)」みたいなのを目視したかったという意味もあったように思います。

ですが、今はその“スランプ”の時期を経て「目視出来なくても別に大丈夫」というメンタリティを得ることができたので、お仕事に対してもいい意味でゆるくなりました。

 

今思うと、『自分の「やりたい」よりは、流れに任せてみる』『目標ややりたいことがあっても、ガツガツ最短距離を目指さない』みたいなスタンスが身に着いたのは、私にとっては非常に大きなことだったのかもしれません。

 

あとは、ビジネスのノウハウを学んだこともかなり役立っています。

今も行きがかり上、クライアントさんのビジネスのコンサルをすることが多分にあるからです(「稼ぐ」という視点というよりかは、その人に合ったやり方で、スムーズに回すための、必要な道筋を整えるという意味で)。

自分の視点だと分からないことも多いけれど、結局人生って無駄がないんだなあ、と思います。

 

 

結局お金って愛なんだなあ

こうやってあれこれ書いた内容を振り返ってみると、「お金」が時間をかけて私を育ててくれたという側面を感じざるをえないなあ、と思いました。

 

「お金がたくさんある」ということだけはお金のことはわからないもの。

「お金がない」ということでしか気づけない経験や得られない価値観は、それこそプライスレスなもの。

 

「お金に関して勉強をしたい!キチンとお金を循環させられる自分になりたい!」と思った5年くらい前の私の願いは、そう思うと意外としっかり果たされている。

考えてみたら失敗ではなくて、普通に一本道の学びだったのかもしれませんね。

 

これを書く前は正直「こんなこと書いて大丈夫かな」「ちょっと恥ずかしいな」みたいな思いもあったのですが、いざ書いてみるとなんてこともなく、すらすら文章が出てきました。ようやくこれを語れるくらいの自分になれた、というのは自分にとって一つの区切りのような気もします。

長い文章、お読みくださって感謝です!!ありがとうございました。

さて、私のお話があなたのお役に立てるといいのですが。

お金に関するアンケートも引き続きやっております(早速送ってくださった方、本当にありがとうございました!拝読していますよ!)。よかったらこちらから、ぜひご協力くださいね。

 

マゼンティークでは、必要なあなたのお越しをお待ちしております。

ではでは、今日はこの辺で(*^^*)

 

 

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